書籍概要
「流行りのIT」だけがイノベーションではありません。日本に眠る、素材・バイオ・機械などの圧倒的な「深い技術」を、いかに東南アジアなどの「課題」と結びつけるか。日本発イノベーターの新しい勝ち筋が見えます。
イノベーターへの視点
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Q&Qの課題解決 「課題(Question)」と「技術(Quest)」をどうマッピングするか。東南アジアなどの未解決の課題に、日本の技術を「翻訳」して持ち込むプロデュース力の重要性。
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知識製造業としてのリバネス 研究者を巻き込み、技術を社会実装するためのエコシステムの作り方。単なるVCやコンサルではない、技術への深い理解(リテラシー)に基づいた支援の形。
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「課題解決」から「未来創造」へ 目の前の便利さ(アプリ等)ではなく、食糧・エネルギー・環境といった根源的な課題に挑む。技術者の情熱を「熱狂」に変えるためのビジョンの描き方。
徹底分析:『ディープテック ― 世界の未来を切り拓く「眠れる技術」』
要約(Abstract)
本書は、リバネス代表取締役CEOの丸幸弘と IT批評家の尾原和啓による共著であり、 ディープテック(Deep Tech)という概念を日本の文脈で体系化した先駆的著作 である。2019年の刊行当時、スタートアップ議論がソフトウェア・プラットフォーム領域に偏重するなか、素材科学・バイオテクノロジー・機械工学といった「深い技術」が地球規模の課題解決に不可欠であると主張した点に独自性がある。
本書の核心は、日本に蓄積された基礎研究と製造技術を、東南アジアをはじめとする新興国の「未解決課題(ディープイシュー)」と接続する 「技術の翻訳」モデル の提唱にある。BCGとHello Tomorrowが2017年に発表した報告書『From Tech to Deep Tech』がディープテックの国際的な定義を確立したのに対し、本書はそれを日本発のイノベーション戦略として再解釈した。
全体を通じて、リバネスが構築した「知識製造業」というビジネスモデルと、 TECH PLANTERを核としたエコシステム設計の実践知 が豊富に盛り込まれている。学術的にはイノベーション・エコシステム論とミッション志向型イノベーション政策の交差点に位置づけられる。
1. 核心テーゼ(内部構造)
Q&Qフレームワーク ― 課題と探究の二重螺旋
本書が提示する最も独創的な概念装置は、 Question(課題)とQuest(探究)の二重マッピング である。従来のリニアモデルでは基礎研究から応用、事業化へと一方向に進むと想定されてきたが、丸・尾原はこれを否定する。ディープテックにおいては、現場の課題が技術の方向性を規定し、同時に技術の発見が新たな課題を顕在化させる。
この循環構造は、Stokes(1997)が提唱した パスツール象限(基礎研究と実用性を同時追求する領域)の概念と親和性が高い。本書はこのフレームワークを、東南アジアの食糧問題や環境汚染という具体的課題に接続することで、抽象的な学術概念に実践的な肉付けを行っている。
ただし、Q&Qフレームワークの成立条件として、課題の「翻訳者」が不可欠である点は注意を要する。技術者と課題保有者の間に立ち、双方の言語を理解するプロデューサーの存在が前提となっており、この人材の希少性が スケーラビリティの制約要因 となりうる。
知識製造業 ― 第四次産業としての研究エコシステム
リバネスが自称する 「知識製造業」 は、本書の制度的基盤をなす。従来の産業分類(第一次〜第三次産業)では捉えきれない、知識そのものを生産・流通・実装するビジネスモデルとして位置づけられる。研究者の持つ暗黙知を形式知に変換し、企業や社会課題と結びつけるプラットフォーム機能を担う。
この概念は、野中郁次郎・竹内弘高(1995)の SECIモデル(知識創造理論)と構造的に類似する。特に「共同化(Socialization)」と「表出化(Externalization)」のプロセスを組織横断的に実行する点で、リバネスのモデルはSECIの実装形態とみなせる。
一方で、知識製造業という概念は、 リバネス固有のビジネスモデルの正当化 という側面も持つ。一般化可能な産業概念なのか、それとも特定組織のブランディング戦略なのかという問いは、本書を学術的に評価する際の重要な論点となる。
ディープイシュー起点の逆転発想
本書の第三のテーゼは、技術起点ではなく 課題起点のイノベーション である。先進国では解決済み、あるいは問題として認識すらされていない事象が、新興国では深刻なディープイシューとして存在する。この非対称性に着目し、日本の「枯れた技術」を新興国の課題に再適用するという戦略を提唱する。
この発想は、横井軍平の 「枯れた技術の水平思考」 と思想的系譜を共有する。最先端ではなく成熟した技術を新しい文脈に転用することで、コスト効率とリスク低減を同時に実現する。本書はこれをゲーム機開発からグローバルな社会課題解決へと射程を拡大した。
2. 批判的分析(外部批評)
本書に対する批判は、大きく三つの軸に整理できる。第一に、 成功事例の選択バイアス の問題がある。書中で取り上げられるリバネス関連企業(ユーグレナ、チャレナジー等)はいずれも著者のネットワーク内にあり、失敗事例や撤退事例への言及が極めて限定的である。
BCG(2023)の報告書によれば、ディープテック・スタートアップがCラウンド資金調達に到達する確率は 約2% にすぎない。Ghosh & Nanda(2010)もディープテック投資の「死の谷」問題を実証的に分析しており、本書が描く楽観的なシナリオとの乖離は大きい。
第二に、 収益モデルの不透明性 が挙げられる。ディープテックは研究開発期間が長期にわたり(バイオ分野で平均4年、BCG・Hello Tomorrow, 2019)、商業化までの資金需要が膨大である。本書はこの財務的現実についての分析が手薄であり、「情熱」や「ビジョン」といった定性的要素に議論が偏る傾向がある。
第三に、 地政学的リスクへの考慮不足 が指摘できる。2019年の刊行以降、米中技術覇権競争の激化、サプライチェーンの分断、東南アジア各国の自国技術保護主義の台頭など、国際環境は大きく変容した。「日本の技術を新興国に持ち込む」というモデルの前提条件自体が揺らいでいる。
3. 比較分析(ポジショニング)
クリステンセン『イノベーターのジレンマ』との比較
Clayton Christensen(1997)の 破壊的イノベーション理論 は、既存市場の下位セグメントから参入する新興企業が既存企業を駆逐するメカニズムを解明した。一方、本書のディープテック概念は市場の「下位」ではなく、既存市場そのものが存在しない未開拓領域を射程とする。
クリステンセンのモデルが 市場ダイナミクス に焦点を当てるのに対し、丸・尾原のモデルは 課題ダイナミクス を出発点とする。破壊的イノベーションでは顧客の過剰満足(オーバーシューティング)が機会を生むが、ディープテックでは顧客の基本的ニーズすら充足されていない状態から出発する。この構造的差異は、両理論が補完関係にあることを示唆している。
マッツカート『ミッション・エコノミー』との比較
Mariana Mazzucato(2021)の ミッション志向型イノベーション政策 は、政府が「月面着陸」級の社会的ミッションを設定し、公的資金と制度設計で民間イノベーションを方向づけるべきだと主張する。本書のディープテック論とは、「社会課題の解決こそがイノベーションの起点」という認識を共有する。
両者の決定的な違いは アクターの想定 にある。マッツカートが国家を「企業家的国家(Entrepreneurial State)」として再定義するのに対し、本書は民間エコシステム(リバネス、リアルテックファンド等)を主要な推進力と位置づける。日本のNEDOディープテック・スタートアップ支援基金(総額約1,000億円)の創設は、両アプローチの融合を志向する政策的試みとみなせる。
BCG・Hello Tomorrow報告書との比較
BCGとHello Tomorrowが共同発表した『From Tech to Deep Tech』(2017)および『The Dawn of the Deep Tech Ecosystem』(2019)は、ディープテックの 国際的な定義と市場規模の定量分析 を提供した。400社超のスタートアップ調査に基づき、先端材料・AI・バイオ・ブロックチェーン・ドローン・フォトニクス・量子コンピューティングの7領域を体系化した。
本書はBCG報告書の分析枠組みを暗黙的に参照しつつも、 日本固有の文脈(モノづくり文化、基礎研究の蓄積、中小企業の技術力) を強調する点で差別化を図る。BCG報告書がグローバルな投資家向けの定量レポートであるのに対し、本書は日本の技術者・起業家向けの実践ガイドとしての性格が強い。
4. 学術的検証(科学的根拠)
本書の理論的基盤を学術的に検証すると、複数の学術領域との接点が確認できる。まず、 トリプルヘリックスモデル(Etzkowitz & Leydesdorff, 2000)は、大学・産業・政府の三者間相互作用がイノベーションを駆動するとする理論である。リバネスの「知識製造業」モデルは、このトリプルヘリックスの実装形態として解釈可能であり、特に大学の研究成果を産業化するブリッジ機能を体現している。
次に、Auerswald & Branscomb(2003)が提唱した 「死の谷」概念 との関連がある。基礎研究と商業化の間に横たわる資金的・制度的ギャップを指すこの概念は、ディープテック領域で特に深刻である。Colombo et al.(2023)は、ディープテック・ベンチャービルダーが「死の谷」を克服するための制度設計を分析し、段階的な資金提供と技術的メンタリングの組み合わせが有効であることを実証した。
本書が主張する「技術の翻訳」モデルの学術的根拠としては、 吸収能力(Absorptive Capacity)理論(Cohen & Levinthal, 1990)が関連する。外部の知識を認識し、消化し、応用する組織能力を指すこの概念は、新興国企業が先進国の技術を取り込む際の成否を左右する。本書は翻訳者(プロデューサー)の存在を強調するが、受け手側の吸収能力の議論が不十分であるという 学術的な限界 が指摘できる。
また、OECD『Science, Technology and Innovation Outlook 2025』は、ディープテックにおける 学際的・分野横断的研究 の重要性を強調し、「コンバージェンス・スペース」(物理的・デジタル的・技術的基盤が交差するプラットフォーム)の構築を各国政府に提言している。本書のエコシステム論はこの政策提言と方向性を共有する。
5. 実践的示唆とケーススタディ
事例1: 株式会社ユーグレナ ― バイオベンチャーの上場と社会実装
ユーグレナは、微細藻類ミドリムシの大量培養技術を基盤とするディープテック企業であり、本書の思想を体現する代表的事例である。2005年に世界初の食用ミドリムシ屋外大量培養に成功し、2012年12月に東証マザーズに上場した。公募価格1,700円に対し初値は 3,900円(約2.3倍) を記録した。丸幸弘は創業期から技術顧問として深く関与しており、リバネスのネットワークがユーグレナの成長を支えた好例とされる。
現在はミドリムシ由来のバイオジェット燃料の研究開発を進めており、59種類の栄養素を活用した健康食品・化粧品事業と、 脱炭素エネルギー事業の二軸 で展開している。基礎生物学の発見を食品・エネルギーという複数領域に展開する点で、Q&Qフレームワークの有効性を示す事例といえる。
事例2: 株式会社チャレナジー ― 台風発電の実用化への挑戦
チャレナジーは、2011年の東日本大震災を契機に設立された次世代風力発電企業である。プロペラではなく円筒の自転で生じる マグナス力 を利用した垂直軸型風力発電機を開発し、従来のプロペラ式では不可能だった暴風域での発電を実現した。2017年10月には沖縄県で台風22号の直撃時に最大瞬間風速33m/sの環境下での安定発電に成功している。
資金調達面では、リアルテックファンドからの初期投資を皮切りに、2019年に総額約6億円、2022年には前澤ファンドから 約12億円 の資金調達を実施した。2021年にはフィリピンでの10kW機の稼働を開始し、島嶼国のエネルギー課題という「ディープイシュー」に対する技術実装を進めている。
事例3: Spiber株式会社 ― 構造タンパク質素材の量産化
Spiberは人工クモ糸の研究から出発し、微生物発酵による構造タンパク質素材 「Brewed Protein(ブリュード・プロテイン)」 を開発したディープテック企業である。植物由来の糖類を原料とし、石油由来素材に依存しない持続可能な新素材として注目を集めている。
2021年にはカーライル、フィデリティ・インターナショナル、ベイリー・ギフォードなどから 約344億円 の資金調達を完了し、さらに事業価値証券化スキームで約250億円を調達した。NEDOの支援を受けて量産化研究開発設備を導入し、米国ADM社との協力による量産体制の構築を進めている。累計調達額は国内屈指の規模であり、基礎科学研究がグローバル素材産業に転換しうることを実証する事例である。
6. 結論
本書『ディープテック』は、2019年の刊行から数年を経てもなお、日本発のディープテック論の 基本文献としての地位 を保持している。Q&Qフレームワーク、知識製造業、ディープイシュー起点のイノベーションという三つの概念装置は、理論的な精緻さでは学術論文に及ばないものの、実務家にとっての認知枠組みとして十分な有用性を持つ。
本書の最大の貢献は、ソフトウェア偏重のスタートアップ文化に対する オルタナティブな視座 を提供した点にある。NEDOが2023年に創設したディープテック・スタートアップ支援基金(約1,000億円)や、TECH PLANTERが累計6,000チーム超のエントリーを集積した事実は、本書が提唱した方向性が政策・実務の両面で受容されたことを示している。
一方で、成功事例の選択バイアス、収益モデルの不透明性、地政学的リスクへの考慮不足という三つの限界は、本書を批判的に読む際の重要な視点である。ディープテック領域のCラウンド到達率が約2%という厳しい現実を踏まえれば、本書の楽観的なトーンは 「志向的フレーミング(aspirational framing)」 として理解すべきであり、定量的なリスク分析を別途補完する必要がある。
今後のディープテック研究においては、本書が提起した「技術の翻訳」概念を、吸収能力理論やトリプルヘリックスモデルと統合的に検証する学際的アプローチが求められる。
参考文献
- Auerswald, P. E. & Branscomb, L. M. (2003). “Valleys of Death and Darwinian Seas: Financing the Invention to Innovation Transition in the United States.” Journal of Technology Transfer, 28(3-4), 227-239.
- BCG & Hello Tomorrow (2017). From Tech to Deep Tech: Fostering Collaboration Between Corporates and Startups. Boston Consulting Group.
- BCG & Hello Tomorrow (2019). The Dawn of the Deep Tech Ecosystem. Boston Consulting Group.
- BCG (2023). An Investor’s Guide to Deep Tech. Boston Consulting Group.
- Christensen, C. M. (1997). The Innovator’s Dilemma: When New Technologies Cause Great Firms to Fail. Harvard Business School Press.(邦訳:『イノベーションのジレンマ』翔泳社)
- Cohen, W. M. & Levinthal, D. A. (1990). “Absorptive Capacity: A New Perspective on Learning and Innovation.” Administrative Science Quarterly, 35(1), 128-152.
- Colombo, M. G. et al. (2023). “Designing a Deep-Tech Venture Builder to Address Grand Challenges and Overcome the Valley of Death.” Journal of Organization Design, 12, 47-70.
- Etzkowitz, H. & Leydesdorff, L. (2000). “The Dynamics of Innovation: From National Systems and ‘Mode 2’ to a Triple Helix of University–Industry–Government Relations.” Research Policy, 29(2), 109-123.
- Ghosh, S. & Nanda, R. (2010). “Venture Capital Investment in the Clean Energy Sector.” Harvard Business School Working Paper, No. 11-020.
- Mazzucato, M. (2013). The Entrepreneurial State: Debunking Public vs. Private Sector Myths. Anthem Press.(邦訳:『企業家としての国家』薬事日報社)
- Mazzucato, M. (2021). Mission Economy: A Moonshot Guide to Changing Capitalism. Allen Lane.(邦訳:『ミッション・エコノミー』NewsPicksパブリッシング)
- 野中郁次郎・竹内弘高 (1996).『知識創造企業』東洋経済新報社.
- OECD (2025). Science, Technology and Innovation Outlook 2025. OECD Publishing.
- Stokes, D. E. (1997). Pasteur’s Quadrant: Basic Science and Technological Innovation. Brookings Institution Press.
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