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書籍 イノベーション
事業を創る人の大研究 ― 新規事業をつくる力・支える力・育てる組織

事業を創る人の大研究 ― 新規事業をつくる力・支える力・育てる組織

田中 聡, 中原 淳

新規事業の敵は『社内』にあり

出版社 クロスメディア・パブリッシング(インプレス)
出版年 2018年
カテゴリ イノベーション
ISBN 978-4295401568

書籍概要

新規事業の難しさは「アイデア」ではなく「人」と「組織」にあります。本書は、孤軍奮闘する担当者が直面する4つのジレンマ(役割、評価、資源、人間関係)を白日の下に晒し、それをいかに乗り越えるかの処方箋を提示しています。「起業家精神」を個人の素質に押し付けるのではなく、いかにして組織的に育むか。

イノベーターへの視点

  1. 4つのジレンマの克服 既存事業の評価基準で裁かれ、リソースを奪い合い、社内から浮いてしまう。その過酷な現実を、データに基づいた知見でいかに突破するか。

  2. 「支える人」の重要性 孤立する担当者を守り、社内政治を代行し、盾となる「スポンサー(支援層)」の存在こそが、事業成功の隠れた鍵である。

  3. 成長のプロセス 事業を創る過程で、個人はいかに変容していくのか。「問い」を立て、失敗から学び、越境し続けるプロフェッショナルとしての成長。


徹底分析:『事業を創る人の大研究』

要約(Abstract)

本書は、田中聡(立教大学経営学部)と中原淳(立教大学経営学部)が 1,500名超の新規事業経験者を対象に実施した大規模定量調査 に基づく実証的研究の成果である。新規事業の成否を分ける要因として「アイデアの質」よりも「人と組織の力学」が決定的に重要であることを、統計データと質的インタビューの両面から明らかにした。

調査では「新規事業で最も苦労した経験」として、 「社内の理解・巻き込み」が「アイデア創出」の約2倍 の回答を集めている。この結果は、従来のイノベーション論が見落としてきた「組織内政治」の影響力を数値で裏付けた点で画期的である。

本書の独自性は、「創る人」「支える人」「育てる組織」の三層構造で新規事業を捉え直した点にある。個人の起業家精神に帰属させがちな従来の議論から脱却し、 組織的なイントラプレナーシップの条件 を体系的に提示している。

1. 核心テーゼ(内部構造)

1-1. 4つのジレンマ ― 新規事業担当者を蝕む構造的矛盾

本書が提示する「4つのジレンマ」は、新規事業担当者が組織内で直面する構造的な矛盾を類型化したものである。 対経営・上司のジレンマ では、経営層が掲げる「挑戦せよ」というメッセージと、短期的な収益を求める評価制度の乖離が担当者を追い詰める。

対既存事業のジレンマ では、既存事業部門から「利益を食い潰す存在」として冷遇され、リソース獲得の困難に直面する。対部下のジレンマでは、不確実性の高い環境でチームメンバーのモチベーション維持に苦慮する。

そして 対自分のジレンマ では、「本当にこの事業は成功するのか」という自己懐疑との闘いが描かれる。これら4つのジレンマは相互に連鎖し、担当者を「悶絶体験」へと追い込む。田中・中原はこの構造を定量的に可視化した点で独自の貢献を果たしている。

1-2. スポンサーシップ論 ― 「支える人」の機能と条件

本書の最も実践的な貢献は、 新規事業における「スポンサー(支援者)」の役割 を明確化した点にある。スポンサーとは、経営層や上司のなかで新規事業担当者の「盾」となり、社内政治を代行する存在を指す。

調査データによれば、スポンサーの有無が新規事業の成否と担当者の成長に統計的に有意な影響を与えている。単なる精神的支援ではなく、 リソース調達の後ろ盾、既存事業部門との交渉代行、経営層への説明責任の分担 という具体的機能が求められる。

この知見は、Burgelman(1983)が提唱した「戦略的文脈の決定」における中間管理職の役割を、日本の大企業文脈で実証的に裏付けたものと評価できる。

1-3. 経験学習としての新規事業 ― 人材育成論への接続

田中・中原は新規事業を単なる事業開発プロセスとしてではなく、 「経営人材育成の最良の機会」 として再定義している。修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(M-GTA)を用いた質的研究では、15名の中堅マネジャーへの半構造化インタビューを実施している。

その結果、新規事業経験を通じてミドルマネジャーは「他者本位志向」「リーダーマインド」「経営者視点」を段階的に獲得することが明らかとなった。これはKolbの経験学習理論を組織イノベーションの文脈に応用した成果であり、田中の博士論文(東京大学、2018年)が底本となっている。

この研究は2019年に 経営行動科学学会の奨励研究賞 および 人材育成学会の奨励賞 をダブル受賞しており、学術的妥当性が認められている。

2. 批判的分析(外部批評)

本書の最大の強みは、 1,500名規模の定量調査という圧倒的なサンプルサイズ にある。しかしながら、いくつかの限界も指摘されている。第一に、調査対象が日本の大企業に偏っており、中小企業やスタートアップとの比較視点が欠落している。

第二に、「人と組織」の要因を重視するあまり、 技術的能力やアイデアの質といった本質的要件 が相対的に軽視されているとの批判がある。新規事業の成否は人間関係だけで決まるわけではなく、市場環境や技術的優位性も重要な変数である。

第三に、本書は記述的研究(descriptive research)としての性格が強く、「なぜそのジレンマが生じるのか」という因果メカニズムの解明には踏み込みが不十分である。組織文化や 日本型雇用慣行との構造的関係 について、より深い理論的考察が求められる。

ただし、これらの限界を差し引いても、日本語圏において新規事業の「人と組織」側面をここまで大規模に実証した研究は他に類を見ない。実務家向けの書籍でありながら 学術論文に耐えうるエビデンス を提示した点は高く評価される。

3. 比較分析(ポジショニング)

3-1. vs.『イノベーションのジレンマ』(Clayton Christensen, 1997)

Christensenの古典的名著が「技術と市場の構造的ジレンマ」をマクロ視点で描いたのに対し、本書は 「組織内の人間関係のジレンマ」をミクロ視点で描出 している。両者は補完関係にあり、Christensenが「なぜ優良企業が破壊的イノベーションに敗れるのか」を問うたのに対し、田中・中原は「なぜ優良企業の中で新規事業担当者が潰れるのか」を問うている。

Christensenの議論は技術的・市場的な不可避性を強調するが、本書は 組織的介入によって状況を改善できる という処方箋を提示する点でより実践的である。

3-2. vs.『リーン・スタートアップ』(Eric Ries, 2011)

Riesの方法論が「仮説検証の高速サイクル」という事業開発プロセスに焦点を当てるのに対し、本書は そのプロセスを実行する「人」と「組織環境」 に焦点を当てている。リーン・スタートアップは「何をすべきか」を教えるが、「誰がどのような環境でそれを実行するのか」という問いには答えていない。

本書は、リーン・スタートアップの方法論を大企業内で実践しようとしたときに生じる 組織的摩擦の正体 を明らかにしており、両者を併読することでより実効性の高い新規事業推進が可能となる。

3-3. vs.『両利きの経営』(Charles A. O’Reilly III & Michael L. Tushman, 2016)

O’Reilly & Tushmanの「組織的両利き性(Organizational Ambidexterity)」が、探索(exploration)と深化(exploitation)を両立する 組織設計の原理 を論じたのに対し、本書はその組織設計のなかで実際に働く「人」の経験と苦悩に焦点を当てている。

『両利きの経営』が「遮断と接続のバランス」を構造的に論じるマクロ理論であるのに対し、本書は その構造のなかで個人がいかに翻弄されるか を実証データで示したミクロ理論である。両者は抽象度の異なる補完的フレームワークとして位置づけられる。

4. 学術的検証(科学的根拠)

本書の学術的基盤は、田中聡の博士論文「新規事業における中堅管理職の経験学習:経営人材育成に対する学習論的アプローチ」(東京大学、2018年)にある。 混合研究法(mixed methods) を採用し、定量調査と質的研究を組み合わせた堅実な研究設計となっている。

定量調査は1,500名規模のアンケートで実施され、統計的分析により新規事業担当者の行動特性と成果の相関を明らかにしている。質的調査では15名のミドルマネジャーに対する半構造化インタビューを実施し、 M-GTA(修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ) に基づく分析で学習プロセスモデルを構築した。

底本となる論文「新規事業創出経験を通じた中堅管理職の学習に関する実証的研究」は『経営行動科学』Vol.30 No.1に掲載された。 経営行動科学学会奨励研究賞と人材育成学会奨励賞のダブル受賞 は、方法論的妥当性と理論的貢献が学術コミュニティに認められた証左である。

ただし、横断的調査(cross-sectional study)が中心であるため、因果関係の特定には限界がある。今後は 縦断的研究やランダム化比較試験 など、より厳密な研究デザインの採用が期待される。

5. 実践的示唆とケーススタディ

5-1. ソニー ― Sony Startup Acceleration Program(SSAP)

ソニーは2014年に社内新規事業創出プログラム「SSAP」を開始し、アイデア創出から事業育成、組織・人材開発までを ワンストップで支援する体制 を構築した。これまでに22業種・25件の事業化を実現している。

SSAPの成功要因は、本書が指摘する「スポンサーシップ」の制度的担保にある。経営層が直接関与し、既存事業部門との利益相反を組織構造として回避する設計がなされている。電子ペーパー腕時計「FES Watch」やスマートウォッチ「wena wrist」はこのプログラムから生まれた代表的成果であり、 新規事業担当者の「4つのジレンマ」を組織設計で緩和 した好例といえる。

5-2. リクルート ― 新規事業提案制度「Ring」

リクルートの新規事業提案制度「Ring」は1982年に創設され、40年以上にわたり社内起業文化を支えてきた。「ゼクシィ」「ホットペッパー」「スタディサプリ」など 数々の主力事業がこの制度から誕生 している。

年間約1,000件の応募から5〜6件が事業化に進むという厳しい選抜プロセスは、本書が重視する「失敗からの学習」機会を組織的に提供している。提案者がそのまま事業責任者となる仕組みは、田中・中原が指摘する 「経営人材育成の最良の機会としての新規事業」 を制度として体現している。

5-3. パナソニック ― Game Changer Catapult

パナソニックは社内ベンチャープログラム「Game Changer Catapult(GCカタパルト)」を通じて、従来のモノづくりの枠を超えた新規事業創出に取り組んでいる。外部のベンチャーキャピタルと合弁会社「BeeEdge」を設立し、 社内から独立した事業化スキーム を構築した点が特徴的である。

この設計は、本書が論じる「既存事業との遮断と接続のバランス」を実践に移したものである。パナソニック本体の評価制度や資源配分の論理から切り離すことで、 対既存事業のジレンマを構造的に解消 しようとしている。O’Reilly & Tushmanの両利き経営論と田中・中原のスポンサーシップ論を統合した実践モデルとして注目に値する。

6. 結論

『事業を創る人の大研究』は、日本の大企業における新規事業開発を「人と組織」の観点から実証的に分析した 先駆的業績 である。1,500名規模の定量調査に裏付けられた「4つのジレンマ」モデルとスポンサーシップ論は、実務家と研究者の双方に有意義な知見を提供している。

Christensenが市場構造を、Riesがプロセスを、O’Reilly & Tushmanが組織設計を論じたのに対し、本書はその すべての根底にある「人」の経験と成長 に光を当てた。この視点は、グローバルなイントラプレナーシップ研究においても独自のポジションを占めている。

今後の課題としては、日本以外の文化圏への適用可能性の検証、縦断的研究による因果関係の特定、そして デジタルトランスフォーメーション時代における新規事業ジレンマの変容 の追跡が挙げられる。田中が2021年に東京大学出版会から刊行した『経営人材育成論』は、これらの課題に部分的に応答する発展的研究として位置づけられる。

参考文献

  1. 田中聡・中原淳(2018)『「事業を創る人」の大研究』クロスメディア・パブリッシング
  2. 田中聡(2017)「新規事業創出経験を通じた中堅管理職の学習に関する実証的研究」『経営行動科学』Vol.30, No.1, pp.13-29
  3. 田中聡(2021)『経営人材育成論:新規事業創出からミドルマネジャーはいかに学ぶか』東京大学出版会
  4. Christensen, C. M. (1997). The Innovator’s Dilemma: When New Technologies Cause Great Firms to Fail. Harvard Business School Press.
  5. Ries, E. (2011). The Lean Startup: How Today’s Entrepreneurs Use Continuous Innovation to Create Radically Successful Businesses. Crown Business.
  6. O’Reilly, C. A. III & Tushman, M. L. (2016). Lead and Disrupt: How to Solve the Innovator’s Dilemma. Stanford University Press.
  7. Burgelman, R. A. (1983). “A Process Model of Internal Corporate Venturing in the Diversified Major Firm.” Administrative Science Quarterly, 28(2), pp.223-244.
  8. Pinchot, G. III (1985). Intrapreneuring: Why You Don’t Have to Leave the Corporation to Become an Entrepreneur. Harper & Row.
  9. Kolb, D. A. (1984). Experiential Learning: Experience as the Source of Learning and Development. Prentice-Hall.
  10. Raisch, S., Birkinshaw, J., Probst, G. & Tushman, M. L. (2009). “Organizational Ambidexterity: Balancing Exploitation and Exploration for Sustained Performance.” Organization Science, 20(4), pp.685-695.
  11. 中原淳(2010)『職場学習論:仕事の学びを科学する』東京大学出版会
  12. Antoncic, B. & Hisrich, R. D. (2003). “Clarifying the Intrapreneurship Concept.” Journal of Small Business and Enterprise Development, 10(1), pp.7-24.
  13. 野中郁次郎・竹内弘高(1996)『知識創造企業』東洋経済新報社(原著1995年)
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