課題・背景
従来の有価証券の発行・取引には、証券保管振替機構や信託銀行を介した複雑な事務手続きが伴い、 コストと時間の両面で非効率 が常態化していた。社債や不動産証券化商品などは、発行から決済までに複数の仲介者が関与するため、小口化や流通市場の形成が難しく、個人投資家がアクセスしにくい構造にあった。
ブロックチェーン技術はこの課題を根本的に解決する可能性を持つが、金融規制への適合や既存の市場インフラとの接続という壁がある。 技術先行のスタートアップだけでは、規制産業である証券市場のインフラを変えることは極めて困難 であった。
取り組みの経緯
野村ホールディングスは2019年、野村総合研究所(NRI)と共同で 株式会社BOOSTRY を設立した。出資比率は野村HD 66%、NRI 34%である。証券業界のトップ企業と、金融ITの最大手が組むことで、規制対応とシステム開発の両面を自前で賄える体制を構築した。
同年、ブロックチェーンを活用したデジタル証券の発行・取引プラットフォーム 「ibet」 を発表。ibetは「コンソーシアム型」のブロックチェーンを採用し、BOOSTRYがバリデーターノードを運用する仕組みとした。完全な分散型ではなく、金融規制に対応可能な管理体制を保持しつつ、取引の自動化と透明性を実現するという実務的な設計判断であった。
その後、2020年にはSBIホールディングスが資本参加し、2023年には 日本取引所グループ(JPX) が5%の出資で加わった。「ibet for Fin」コンソーシアムには15社が共同運営に参画し、証券化商品や社債のセキュリティトークン発行に活用されている。
サービス概要
ibet は、金融商品を含むデジタル化されたさまざまな権利の発行と取引を可能にするプラットフォームである。発行体はibet上でセキュリティトークン(ST)を発行し、投資家はブロックチェーン上で権利の移転・決済を行う。
従来の証券発行プロセスでは、 発行・名義書換・利払い・償還 の各段階で複数の中間事業者が介在していたが、ibetではスマートコントラクトによってこれらの処理が自動化される。これにより、社債や不動産受益権の小口化が容易になり、発行コストの大幅な削減と流通性の向上が実現する。
成果と現状
BOOSTRYはセキュリティトークン市場において 国内最大級のプラットフォーム事業者 としての地位を確立している。ibet for Finコンソーシアムには国内の主要金融機関が参画しており、不動産STや社債STの発行実績を積み重ねている。
野村ホールディングスは同時期に、コミュニケーション・ディレクターの佐藤尚之氏と共同で 株式会社ファンベースカンパニー (2019年設立)を立ち上げるなど、金融以外の領域でも新規事業を展開している。ファンベースカンパニーは「ファン」を基盤としたマーケティング支援事業を行い、証券会社の顧客基盤を活かした新たな価値創造を模索する試みである。
この事例から学べること
第一に、規制産業における新規事業は「業界の中心プレイヤー」がイニシアティブを取るべきだという示唆である。 ブロックチェーンによる証券のデジタル化は、技術的にはスタートアップでも可能である。しかし、金融庁の規制対応、既存の証券インフラとの接続、機関投資家の信頼獲得は、業界トップ企業でなければ短期間では実現できない。野村HDが自ら動いたことで、業界標準としてのポジションを確保した。
第二に、競合を株主に迎え入れる「コンソーシアム戦略」の有効性である。 SBIやJPXは本来、野村HDの競合やパートナーである。これらの企業を株主として迎え入れることで、ibetは「野村のプラットフォーム」ではなく「業界のインフラ」へと進化した。プラットフォーム事業においては、自社の取り分を減らしてでも参加者を増やすことがネットワーク効果の源泉となる。
第三に、合弁会社というスキームの戦略的活用である。 BOOSTRY、ファンベースカンパニーともに合弁会社として設立されている。本体から切り離すことで意思決定のスピードを確保しつつ、出資比率の調整で外部パートナーを柔軟に受け入れる余地を残した。大企業の新規事業における法人設計の好例である。


