課題・背景
高知県安芸郡北川村は、 「ゆず」を基幹作物とする人口約1,200人の山間集落 である。村の面積の95%を森林が占め、急峻な地形のゆず畑では機械化が難しく、農作業の多くが人力に依存している。農業人口の高齢化と後継者不足は深刻であり、中山間地の農業が持続可能であるかどうかという根本的な問いに直面していた。
特に問題となっていたのが、 高齢の農作業者が急峻なゆず畑で一人作業を行う際の安全確保 である。携帯電話の電波が届きにくい山間部では、転倒や体調不良が発生しても発見が遅れるリスクが常にあった。
取り組みの経緯
日鉄ソリューションズ(NSSOL)は、親会社の日本製鉄グループの製鉄所向けに IoTソリューション「安全見守りくん」 を2017年にリリースしていた。ウェアラブルデバイスを活用し、作業者の位置情報・バイタルデータを遠隔からモニタリングするシステムである。製鉄所という高温・粉塵・騒音の過酷な環境で鍛えられた堅牢性が強みであった。
2021年、農林水産省の「スマート農業技術の開発・実証プロジェクト」に採択されたことを契機に、NSSSOLは安全見守りくんの見守り機能を 北川村のゆず農園に実験的に適用 した。製鉄所の作業者見守りと、ゆず農園の高齢農家見守りは、「一人作業中の異変検知」という本質的な課題が共通していたからである。
2023年1月には、NTTデータ経営研究所を代表機関として、NTTコミュニケーションズ、北海道大学、高知県農業協同組合など 11機関が参画するローカル5G実証プロジェクト が始動した。農園にローカル5G基地局を設置し、4K360度カメラやスマートグラスを活用した新規就農者への遠隔指導、モバイルムーバーを用いた自動防除ソリューションの検証が行われている。
サービス概要
「安全見守りくん」は、作業者が装着するウェアラブルデバイスを通じて 位置・バイタル情報を管理者側でリアルタイムにモニタリング し、異変にいち早く気づける環境を提供するシステムである。北川村での適用では、農作業者の行動ログを収集し、スマート農業技術を活用した新手法と従来手法の作業効率の差異を計測する役割も担っている。
ローカル5G実証では、 スマートグラスを通じたベテラン農家から新規就農者への遠隔指導 も検証されている。ゆずの剪定や収穫には長年の経験に基づく暗黙知が求められるが、これを映像とリアルタイム音声で伝達することで、技能承継の加速を図っている。
成果と現状
農作業現場における見守り機能の実験的適用は、携帯電波が不安定な山間部でも 安定した作業者モニタリングが可能 であることを実証した。NSSSOLは2022年には、自社の特例子会社Act.の農福連携事業にも安全見守りくんを導入し、農業分野での適用範囲を拡大している。
北川村では、ゆずの生産コスト低減と新規就農者の確保・育成の両面で成果を目指しており、 「子どもたちにとっても魅力ある新しい農業の姿」 を実証することが最終目標に掲げられている。
この事例から学べること
第一に、大企業の「既存技術の水平展開」は、異業種のペインが一致する領域で最も威力を発揮するという原則である。 製鉄所の「一人作業中の安全確保」とゆず農園の「高齢農家の見守り」は、業種は全く異なるが課題の構造は同一である。技術そのものを変える必要はなく、適用先を変えるだけで新たな価値が生まれた。
第二に、社会課題起点の新規事業は多機関連携が必須だという教訓である。 中山間地の農業維持という課題は一企業で解決できるものではない。NSSSOLが技術を提供し、大学が知見を提供し、自治体と農協が現場を提供するという座組みがあって初めて実証が成立した。
第三に、親会社のDNA(製造業の現場力)が子会社の新規事業の差別化要因になるという点である。 NSSSOLのIoTソリューションが農業分野で選ばれた理由は、「製鉄所」という世界で最も過酷な現場での運用実績があったからである。大企業グループのDNAは、一見するとレガシーに見えるが、適切な文脈では最強の信頼資産となる。

