課題・背景
日建設計は1900年の創業以来、東京スカイツリーやカンプ・ノウ(FCバルセロナ本拠地)の設計を手がけるなど、 世界最大級の建築設計事務所 として知られる。しかし、建築設計業は受注型ビジネスであり、景気変動やクライアントの投資判断に大きく左右される構造的な課題を持つ。
加えて、建築業界そのものが DX(デジタルトランスフォーメーション)やスマートシティの波 にさらされる中、従来の「設計図面を描く」という価値提供だけでは、テクノロジー企業との競争に対応できないという危機意識が生まれていた。建築の専門知識を活かしながらも、新たな収益モデルを創出する必要があった。
取り組みの経緯
日建設計は2016年、社内の多様な人材が持つアイデアを事業化する仕組みとして、 新規事業開発提案制度「Discover Peaks! Competition」(通称「峰コンペ」) を立ち上げた。
「峰」という名称には、組織のあり方に対する明確なメッセージが込められている。従来の日建設計は建築設計という一つの頂点に向かう ピラミッド型組織 であったが、峰コンペは 複数の事業の「峰」を同時に切り拓く山脈型組織 への転換を志向するものである。
「今ある山の頂をさらに高くすることと、新たな山の峰を発見すること。その両方が必要だという思いを制度名に込めた」
――日建設計 新規事業開発提案制度”峰コンペ”、世界的な建築を生み出してきた精鋭集団の次の一手(Incubation Inside)
サービス概要
峰コンペは 2つのテーマ で提案を募集する。第一は 「関連・拡張領域の事業」 で、日建設計の既存ドメインである建築設計・都市計画の延長線上にある事業アイデアである。第二は 「非連続領域の事業」 で、既存事業からは大きく離れた全く新しい事業領域への挑戦を対象とする。
この2テーマ制により、 漸進的イノベーション(既存事業の深化)と破壊的イノベーション(新市場の創造)の両方 を同一の制度で吸い上げることが可能になっている。建築の専門性を活かした堅実な事業拡張と、建築以外の領域への大胆な飛躍を、同時に推進する設計である。
峰コンペから生まれた代表的プロジェクトが、 「安全安心なスマートシティの創出」 をテーマとした取り組みである。このプロジェクトからは、CAC(シーエーシー)との共同開発による ジェスチャーコントロールエンジン「UT-AIZ」 が誕生した。空間をインターフェースとして活用する技術であり、建築設計の空間把握力をIoT・UI/UXの領域に転用した事例である。
成果と現状
峰コンペは2016年の制度開始以来、 継続的に提案を募集し、複数のプロジェクトを事業化フェーズに進めて きた。UT-AIZに代表されるように、建築設計の専門知識とテクノロジーを掛け合わせた新規事業が生まれている。
日建設計にとって峰コンペは、 設計事務所から「空間の価値を総合的に提供する企業」への変革 を推進するエンジンである。建築設計という高度な専門性を持つ人材集団が、その知見を新たな事業領域に転用できることを実証する場として機能している。
この事例から学べること
第一に、「ピラミッド型」から「山脈型」への組織変革を、制度設計で具現化した点が秀逸である。 峰コンペは単なるアイデアコンテストではなく、組織の未来像(複数の事業の峰を持つ企業体)を社員に示すコミュニケーションツールでもある。制度の名称と設計に経営のビジョンを込めることで、参加者の意識変革を促している。
第二に、「2テーマ制」が多様なアイデアの質と量を確保するという点である。 関連領域だけを募集すると既存事業の延長に留まり、非連続領域だけを募集すると現実味のないアイデアが増える。2つのテーマを並置することで、堅実なアイデアと野心的なアイデアの両方を同時に引き出す仕組みとなっている。
第三に、専門職組織における新規事業制度の設計手法として参考になる点である。 建築設計事務所のように一つの専門性に特化した組織では、「本業以外に手を出す」ことへの心理的抵抗が大きい。峰コンペは「本業の延長」という安心感を提供しながら、「非連続の挑戦」も許容する設計で、この抵抗を巧みに低減している。


