課題・背景
不動産業界は長らく「土地を買い、建物を建て、売る」というビジネスモデルに依存してきた。しかし、人口減少やデジタルシフトの進展により、従来型の開発事業だけでは 持続的な成長が困難 になりつつあった。東急不動産ホールディングスは長期ビジョン「GROUP VISION 2030」において、「デジタル活用による新しい体験価値の創出(DX)」と「新領域ビジネスの創造」を掲げたが、既存の組織構造の中で破壊的なアイデアを生み出すことは容易ではなかった。
多くの大企業が社内提案制度を設けているが、提案が事業化に至るケースは極めて少ない。原因の多くは、 起案者のモチベーション維持 と 投資判断の仕組み にある。提案しても「誰か別の人が事業を引き継ぐ」ならば、社員は本気で事業を練り上げない。
取り組みの経緯
2019年、東急不動産ホールディングスはグループ共創型社内ベンチャー制度 「STEP」 を創設した。STEPは「S(Start / Sustainable / Shibuya)+ TFHD Entrepreneur Program」の略称であり、創業の精神である 「挑戦するDNA」 を呼び起こすことを目的としている。制度設計には新規事業支援のAlphaDriveが参画し、リーンスタートアップの考え方とステージゲート方式を融合させた独自のフレームワークを構築した。
「事業化の際に起案者がその会社の経営者になれることが、今までの新規事業制度との大きな違い」
――東急不動産HDの新規事業プログラム「STEP」(AlphaDrive, 2021年)
この「起案者=経営者」の原則こそが、STEPの最大の差別化ポイントである。社員は自らのアイデアに対して、文字通り 人生を賭ける覚悟 を持って応募することになる。
サービス概要
STEPの審査プロセスは、ステージゲート方式を採用している。アイデア提出後、顧客インタビューやプロトタイプ検証を重ねながら 段階的に投資額を拡大 する仕組みである。各ステージで顧客との対話を通じて事業仮説を検証し、次のステージへの進行可否を判断する。事業化が決定すると、起案者は東急不動産ホールディングス傘下に新会社を設立し、その経営者に就任する。
グループ全体の従業員が応募可能であり、東急不動産、東急コミュニティー、東急リバブルなど 異なる事業会社の社員 が部門を超えてチームを組むこともできる。この「グループ共創」の仕組みが、単一事業会社では生まれにくい横断的なアイデアを可能にしている。
成果と現状
2023年度時点で応募累計は 302件 に達し、4件の事業化が実現している。第1号のTQコネクト株式会社(2021年5月設立)は、インターネットに不慣れなシニア層向けに オペレーター付きタブレットサービス を提供する。第2号のK.627株式会社(2022年5月設立)は、挑戦する人を応援するデジタルギフトプラットフォーム 「Rafft」 を展開する。
「グループ共創社内ベンチャー制度『STEP』からの事業化案件『K.627』社設立」
――東急不動産ホールディングス プレスリリース(2022年5月)
第3号のサステナブル・デザイン株式会社は、CO2排出量・水・廃棄物といった 環境関連データの自動集計システム を提供する。ESG経営の潮流と東急不動産グループの環境戦略を結びつけた事業である。第4号のリープロも事業化が決定し、多様な領域での新規事業創出が進んでいる。
この事例から学べること
第一に、「起案者=経営者」という制度設計が社内起業の本気度を決定的に変える。 多くの企業の新規事業制度では、起案と運営が分離され、起案者のモチベーションが失われがちである。STEPは起案者自身が経営者として新会社を率いる仕組みにすることで、「自分の人生を賭ける」レベルの覚悟を引き出した。社内ベンチャー制度の成否は、 インセンティブ設計 にかかっている。
第二に、ステージゲート方式による段階投資が「小さく産んで大きく育てる」を実現する。 初期段階から大きな投資を行うのではなく、顧客との対話を通じて事業仮説を検証しながら投資額を拡大する方式は、失敗のコストを最小化しつつ、有望な事業には十分な資源を投入できる合理的なアプローチである。
第三に、グループ横断の応募を可能にすることで、単一事業会社では生まれない発想が生まれる。 不動産開発、管理、仲介といった異なる事業領域の知見を持つ社員がチームを組むことで、既存事業の延長線上にはないサービスが誕生した。組織の「壁」を意図的に低くする制度設計が、イノベーションの確率を高めている。


