課題・背景:ウェアラブルの「情報過多」と家電メーカーの新規事業
2010年代前半、ウェアラブルデバイス市場はApple WatchやFitbitの登場により急速に拡大していた。しかしその大半は 健康データの計測 や スマートフォン通知の転送 といった「情報の受け渡し」に終始しており、デバイスを通じて「感情」を共有するという発想は皆無に近かった。
一方、シャープは液晶テレビや白物家電の価格競争に直面し、既存事業の延長線上にはない 新たな収益源 を模索していた。IoTやAIを活用した付加価値の創出が経営課題となる中、社内の若手エンジニアたちが「情報ではなく気持ちを伝えるバンド」というコンセプトを着想する。
取り組みの経緯:手作りモックアップから始まった直談判
funbandの開発は、2013年秋にシャープ社内で 新規事業創出 を模索する中から始まった。起案者はIoT HE事業本部の技術者たちで、彼らは企画書ではなく 手作りのモックアップ を持って経営陣に直談判するという方法を選んだ。製造業のDNAが息づく「現物で語る」文化が、この異色のプロジェクトを前に進めた。
コンセプトは明確だった。スマートフォンの試合速報と連動し、応援しているチームが得点すると バイブレーターが振動 し、 LEDが発光 する。スタジアムにいなくても、腕に巻いたバンドを通じてリアルタイムの興奮を共有できる。2017年には福岡ソフトバンクホークスをはじめ、複数の プロ野球チームモデル が発売された。
サービス・事業の概要:funbandからAIoTプラットフォームへ
funbandは、モーションセンサーが腕の「応援アクション」を感知し、振動や発光で試合の展開を体感させるウェアラブル端末である。Bluetoothでスマートフォンと接続し、応援動作を ポイントとして蓄積 する機能も備えた。価格は数千円台に抑えられ、スポーツ観戦のカジュアルなアクセサリーとして設計された。
2019年、シャープはIoT事業本部を母体として 株式会社AIoTクラウド を設立する。シャープ100%子会社としてのスタートだった。当初はシャープ製AIoT家電向けのクラウドサービスや、同プラットフォームの他社への開放が主な事業だったが、その後 B2Bソリューション へと軸足を移していく。
現在の主力は、道路交通法改正に対応した アルコールチェック管理サービス「スリーゼロ」 と、工場設備の 遠隔監視サービス「WIZIoT(ウィジオ)」 である。funbandで培ったIoT機器とクラウドの連携技術が、法人市場で花開いた形だ。
成果と現状
AIoTクラウドは「シャープ初の社内スタートアップ」と位置づけられている。funband自体は限定的な市場にとどまったものの、そこで蓄積したIoTデバイスの開発力とクラウド運用のノウハウが、現在のB2B事業の基盤となっている。
「スリーゼロ」は2022年の道路交通法改正による アルコールチェック義務化 という追い風を受け、導入企業数を急速に伸ばしている。「WIZIoT」はSORACOMとの連携により、製造業の 設備点検DX を推進するサービスとして拡大中である。コンシューマ向け製品で始まった事業が、ピボットを経て法人向けの安定収益モデルに転換した好例である。
この事例から学べること
第一に、「現物主義」の起案が大企業内の合意形成を突破する。 企画書やスライドではなく、手に取れるプロトタイプを見せることで、意思決定者の想像力を刺激し、承認のハードルを大幅に下げることができる。特に製造業においては、「モノを作る会社がモノで語る」というアプローチが最も説得力を持つ。
第二に、コンシューマ製品からB2Bへのピボットは「撤退」ではなく「進化」である。 funbandの市場規模には限界があったが、そこで培った技術基盤を法人向けに転用することで、より大きく安定した市場にアクセスできた。最初の製品が「当たらなかった」ことを失敗と見なさず、技術資産の転用先を探す姿勢が重要である。
第三に、社内の技術部門を独立法人化することで、事業の自律性とスピードが生まれる。 親会社の意思決定プロセスから切り離されることで、市場の変化に素早く対応し、外部パートナーとの連携も柔軟に行える組織体制が構築できた。