課題・背景
日本の高齢化は世界最速で進行しており、 高齢者のモビリティ確保は深刻な社会課題 となっている。歩行に不安を感じる高齢者は手押し車(シルバーカー)や電動車いすを利用するが、両者は別々の製品であり、「歩けるときは歩きたいが、疲れたら乗りたい」というニーズに応える製品は存在しなかった。
また、既存のシルバーカーや電動車いすには デザイン面での課題 もあった。「介護用品」のイメージが強く、 使用すること自体に心理的な抵抗を感じる高齢者が多い ことが、普及の障壁となっていた。
取り組みの経緯
スズキは電動車いす「セニアカー」で40年以上の実績を持つ企業だが、高齢者モビリティの新たな可能性を模索していた。転機となったのは、 若手社員3名をシリコンバレーに派遣し、6か月間デザイン思考を学ばせた ことである。
帰国した若手チームは、 高齢者への徹底的なインタビューとフィールドリサーチ を実施。「手押し車を使っていると年寄りに見られるのが嫌」「でも歩くのは健康のために続けたい」「疲れたときだけ乗りたい」という 本音のニーズ を掘り起こし、「歩く」と「乗る」を1台で実現するコンセプトを導き出した。2018年に初代コンセプトモデルを発表して以来、改良を重ねている。
「高齢者の本音を追求した新たな手押し車。スズキが実践したデザイン思考とは」
――HIP
サービス概要
KUPO(クーポ) は、「歩く・広がるモビリティ」をコンセプトとする可変型電動アシストカートである。 「プッシュモード」 では電動アシスト付きの手押しカートとして歩行を補助し、歩き疲れたら 「ドライブモード」 に切り替えると電動車いすとして乗って移動できる。
既存のセニアカーが「移動手段」として位置づけられるのに対し、KUPOは 「歩く喜びを支えるヘルスケア・モビリティ」 として新たなカテゴリを定義した。デザインにも徹底的にこだわり、介護用品のイメージを払拭するスタイリッシュな外観を実現している。
2023年にはKUPOとセニアカーの 走行データを活用したアプリの試験運用 も開始し、利用者の歩行データに基づく健康管理機能への展開も進めている。
成果と現状
2021年には浜松市および浜松市花みどり振興財団と連携し、 はままつフラワーパークでの試験運用 を開始。来園者にKUPOを提供し、実利用環境での利便性検証を行った。
同年、KUPOは 2021年度グッドデザイン金賞 を受賞した。1台で電動歩行補助具と電動車いすの機能を兼ねる独自性に加え、 プロトタイプ段階からモーターショーなどに出展し、反響をもとにデザインを磨き上げてきたプロセス も高く評価された。4代目モデルに至るまでの反復的な改良は、デザイン思考の実践そのものである。
この事例から学べること
第一に、デザイン思考の「共感」フェーズがユーザーの本音を引き出すという点である。 高齢者が「手押し車は恥ずかしい」と感じていたインサイトは、通常のアンケート調査では得られない。深いインタビューとフィールドリサーチによって初めて到達できる洞察である。
第二に、既存カテゴリを再定義することで新たな市場を創出できるという点である。 KUPOは「手押し車」でも「電動車いす」でもなく、「ヘルスケア・モビリティ」という新カテゴリを提案した。製品の機能的差別化だけでなく、意味的差別化が市場ポジションを変える。
第三に、若手社員の海外研修投資が製品開発の質を根本的に変えうるという点である。 シリコンバレーでの6か月間のデザイン思考研修は、従来のスズキの開発プロセスにはないユーザー中心の方法論をもたらした。人材への投資がイノベーションの土壌を耕す好例である。


