「爆発する電池」という壁に挑んだ、一人の社内研究者
1980年代初頭、世界の電子機器メーカーは「軽くて高エネルギーの充電池」を渇望していた。しかし、リチウムという元素は非常に反応性が高く、初期の実験では爆発事故が多発。「リチウム電池は危険で実用化できない」というのが業界の常識であった。
この壁に挑んだのが、旭化成の研究者・ 吉野彰 氏である。吉野氏は1981年、白川英樹氏(2000年ノーベル化学賞受賞)が発見した導電性プラスチック「ポリアセチレン」に着目し、これを電池の負極に応用する研究に着手した。
当時の旭化成は化学・繊維を主力とする企業であり、電池事業は本業から遠い分野だった。しかし「面白い研究なら、まずやらせてみよう」という旭化成の「自由闊達」な研究文化が、この挑戦を可能にした。
多角化企業だからこそ実現した「素材の掛け合わせ」
リチウムイオン電池の発明における旭化成の最大の優位性は、化学、エレクトロニクス、繊維、住宅建材といった多角的な事業から蓄積された「素材の引き出し」にあった。吉野氏は、正極にジョン・グッドイナフ氏が発見したコバルト酸リチウムを、負極に特定の結晶構造を持つ炭素材料を組み合わせることで、1985年にリチウムイオン二次電池の基本構成を確立した。
さらに画期的だったのが、安全性の確保である。吉野氏は正極集電体にアルミ箔を用いる技術と、異常時に電流を遮断する「機能性セパレーター」を開発。これが後に旭化成の主力製品となる「ハイポア」の技術的原点となり、電池が安全に使える根幹を支えている。
「研究者にとって一番大事なのは、柔らかい頭を持つこと。異分野の知識を組み合わせて新しいものを生み出すのが、イノベーションの本質です」
――吉野 彰スペシャルサイト(旭化成公式サイト)
発明から事業化まで10年超、「死の谷」を越えた経営判断
1985年にプロトタイプが完成してから商品化まで、実に 8年以上 の歳月を要した。1986年にプロトタイプの試験生産が始まったものの、量産化に必要な設備投資は莫大であり、当時まだ市場が存在しない電池に経営資源を投じることへの社内抵抗は大きかった。
1992年、旭化成は東芝との合弁会社「A&Tバッテリー」を設立し、ようやく量産化への第一歩を踏み出した。自社単独ではなく他社との連携を選んだ「オープン&リンク」の姿勢は、発明を事業に変えるための現実的な判断であった。
「1985年にリチウムイオン電池の原型を作り上げましたが、事業として軌道に乗るまでにはそこから10年以上かかっています。その間、旭化成は投資を止めませんでした」
――ノーベル化学賞受賞までの道のりと未来の産業革命(サイエンスポータル, 2019年11月)
モバイル社会からEV革命まで、文明の「OS」を定義
1990年代にソニーが世界初の商用リチウムイオン電池を搭載したビデオカメラを発売して以降、LIBは爆発的に普及した。ノートPC、携帯電話、そしてスマートフォンと、モバイルデバイスの進化はLIBなしには実現しなかった。
2010年代以降は電気自動車(EV)の心臓部として、さらに再生可能エネルギーの蓄電システムとして、LIBの活躍領域は拡大し続けている。世界のリチウムイオン電池市場は 数十兆円規模 に成長し、旭化成のセパレーター「ハイポア」は 2032年に売上高1,600億円 を目標に北米・カナダでの一貫生産体制を構築中である。
2019年、吉野彰氏はジョン・グッドイナフ氏、スタンリー・ウィッティンガム氏と共に ノーベル化学賞 を受賞。基礎研究の開始から 38年 を経て、一人の社内研究者の執念が世界最高の栄誉で報われた。
「充電式リチウムイオン電池のおかげで、携帯電話やノートパソコン、電気自動車に電力を供給する、軽量で再充電可能な電池が実現しました。リチウムイオン電池は世界中で使用されています」
――充電式電池の発明:2019年ノーベル賞受賞者 吉野彰博士へのインタビュー(WIPO Magazine, 2020年3月)
特許戦略と知財の壁が守った競争優位
吉野氏の功績は発明そのものだけではない。発明と同時に構築した緻密な特許戦略が、旭化成に長期的な競争優位と莫大なライセンス収入をもたらした。正極材料の組成、負極の炭素材料の構造、セパレーターの機能という「三箇条の特許」を戦略的に取得し、後発メーカーが迂回できない知財の壁を築き上げた。
この特許戦略は、大企業の研究者が陥りがちな「発明しただけで満足する」罠を回避し、技術を事業価値に転換するための手本となっている。技術の価値を最大化するには、発明の瞬間から知財戦略を同時に設計する必要があることを、吉野氏の事例は明確に示している。
この事例から学べること
リチウムイオン電池の開発は、大企業における基礎研究が世界を変えるイノベーションに結実した、最も輝かしい事例の一つである。
第一に、失敗を許容する「包容力」の重要性である。 旭化成には「自由闊達」な研究文化があり、本業から遠い分野であっても、面白い研究には挑戦を許す風土があった。短期的な収益に直結しない基礎研究への投資を10年以上継続した経営判断が、ノーベル賞級のイノベーションを生んだ。この「包容力」は制度として設計しなければ、効率化の圧力の中で簡単に失われてしまう。
第二に、多角化企業の「引き出し」がもたらす創造性である。 化学、繊維、エレクトロニクスという異なる分野の素材知識を組み合わせたからこそ、単一事業の企業では辿り着けない解が見つかった。イノベーションは往々にして、異なる知識領域の交差点から生まれる。多角化は非効率と批判されることもあるが、長期的には予測不能な組み合わせを可能にする戦略的資産となりうる。
第三に、「発明」と「事業化」の間にある「死の谷」を越える仕組みの必要性である。 プロトタイプの完成から商品化まで8年以上、事業の黒字化までさらに数年を要した。この長い「死の谷」を越えるには、研究者個人の執念だけでなく、合弁会社の設立や特許戦略の構築といった、組織的な支援の仕組みが不可欠であった。


