課題・背景:日本に創薬スタートアップが生まれない構造
米国や欧州と比較して、日本は創薬スタートアップの設立・成長が著しく少ない。この背景には複数の構造的要因が絡み合っている。
第一は人材流動性の低さだ。製薬企業やアカデミアの間で人材が移動するエコシステムが整っておらず、起業を志す研究者が孤立しやすい。第二は日本固有の薬価制度の問題で、「売れれば売れるほど薬価が下がる」構造が、スタートアップの収益モデルを成立しにくくする。第三はアーリーステージを評価できるVC専門人材の不足であり、創薬の深い科学知識を持った投資家が少ないため、優れた研究シーズがあっても資金調達が困難な状況が続く。
さらに「苦し紛れの上場」という問題もある。研究開発費が最も必要な段階での早期IPOを余儀なくされるケースが多く、上場後の研究継続が経営上の重荷になる構造だ。
取り組みの経緯:Taiho Venturesから大鵬イノベーションズへ
大鵬イノベーションズは大鵬薬品工業のCVC(コーポレートベンチャーキャピタル)部門として機能する組織だ。下村俊泰氏は外資系製薬企業での創薬経験を持ち、2016年からTaiho Ventures名義でCVC投資活動を開始した。10年近い投資実績が、現在の大鵬イノベーションズの投資哲学の基盤となっている。
なお本記事で紹介する投資哲学は、下村氏がマネージングパートナーとして語ったものである。2026年7月2日の組織再編で代表取締役社長には大窪敬人氏が就任している(後述)。
戦略の核心は「専門家同士が集まってやるからこそ、スピードが上がり、成功確率も上がる」という信念にある。オンコロジー(がん領域)と免疫疾患という2領域への集中は、汎用的なCVCとの明確な差別化を生む。専門性による信頼が、大学発スタートアップへのアクセス力を高める。
サービス・事業の仕組み:投資前インキュベーションという独自手法
大鵬イノベーションズが他のCVCと一線を画すのが、「投資前のインキュベーション研究」という手法だ。通常のCVCが既存の研究成果を評価してから投資判断を行うのに対し、大鵬イノベーションズは投資前の段階から大学研究者と共同研究を実施する。
この共同研究では主に3つのことを行う。特許戦略の整理(どの発見が特許になりうるかの精査)、動物実験による安全性の検証(副作用・毒性の事前確認)、そして臨床に近い動物モデルでの有効性検証だ。このプロセスを経ることで、「データの信頼性を自ら確認してから投資する」という判断の質を確保している。
若い経営人材の育成も事業の核を成す。シリアルアントレプレナーの循環促進、大学院生段階からの起業家教育、研究者と経営者の役割を分離する体制の構築——創薬の科学的価値を事業として成立させるには、研究を深める人材と経営を担う人材が互いに専門性を発揮できる環境が必要と位置づけている。
また、エーザイ・塩野義製薬・アステラス製薬も参加するアクセラレーションプログラムを通じ、大手製薬企業の専門人材がプロボノとして創薬スタートアップを支援する仕組みを構築。製薬大手の知見を、スタートアップへの価値提供として循環させる設計だ。
成果と現状:臨床フェーズに到達した投資先
投資先の具体的な成果として、PRD Therapeutics(北里大学発スタートアップ、累計調達額13億円)が2025年から臨床フェーズに移行した。2025年中のフェーズ1完了を目指している。もう一社の投資先StapleBio(熊本大学発、累計調達額4.6億円)は次世代核酸医薬品の開発を進行中だ。
いずれも大学発の創薬スタートアップであり、アカデミアのシーズを事業化できる投資・育成の場としての大鵬イノベーションズの役割が具体的な形として現れている。
2026年7月:投資する側から、臨床試験を引き受ける側へ
2026年7月2日、大鵬イノベーションズは組織形態を合同会社から株式会社へ変更し、代表取締役社長に大窪敬人氏が就任した。 同時に、親会社である大鵬薬品工業の早期臨床開発機能の一部を移管し、アカデミアおよびベンチャー企業の創薬シーズを対象とした早期臨床試験の受託を開始している。
これは「CVCの体制変更」という以上の意味を持つ。もともと大鵬イノベーションズの独自性は、投資判断の前に大学研究者と共同研究を行う「投資前インキュベーション研究」にあった。研究の川上に踏み込むことで投資精度を上げる設計である。今回の再編はその逆方向、川下への拡張にあたる。
日本の創薬スタートアップが直面する壁のうち、本記事が挙げた「研究開発費が最も必要な段階での苦し紛れの上場」は、臨床試験の費用と実務負担に起因する部分が大きい。大手製薬の早期臨床開発機能をスタートアップが使えるようにすることは、その壁を資金供給ではなく機能の提供で下げる打ち手である。大鵬イノベーションズはこれにより、迅速かつ適切な臨床PoC(概念実証)の取得を通じて「創薬シーズの価値最大化と実用化の加速」を図るとしている。
投資前の共同研究から、投資、そして早期臨床試験の受託まで。CVCという枠を出て、創薬シーズが事業になるまでの工程を通しで引き受ける共創基盤へと役割を広げたことになる。
「投資前インキュベーション研究」は、CVCの投資精度と支援深度を同時に高める。 通常のVC・CVCは既存データを評価して投資判断を下すが、大鵬イノベーションズは投資前段階から研究に関与することでデータの信頼性を自ら検証する。これはリスク低減だけでなく、スタートアップ側への「研究パートナー」としての価値提供でもある。資金提供以上の関与が、大学研究者との信頼関係を生む。
領域の絞り込みが、CVCの存在意義を明確にする。 「何でも投資するCVC」はスタートアップ側から見て差別化されていない。がん・免疫疾患という絞り込みは、「この領域なら大鵬イノベーションズ」という認知と信頼を形成する。専門性こそが、資金力で上回る大手VCに対する差別化要因だ。
日本の創薬スタートアップ不足は「薬価制度・人材流動性・VC専門性」の複合問題であり、単一の施策では解決しない。 構造的な課題群を「人材育成」「投資前関与」「大手製薬との協力体制」という複数のレイヤーで同時に取り組む大鵬イノベーションズのアプローチは、大企業CVCが社会課題解決の担い手になりうることを示している。
関連項目
参考文献・出典
- xTECH(メック)「大鵬イノベーションズ 代表インタビュー:創薬スタートアップが生まれない日本の構造に挑む」— https://xtech.mec.co.jp/articles/12202
- 大鵬イノベーションズが新体制へ 早期臨床開発機能を新設し共創基盤を強化(大鵬薬品工業 ニュースリリース・2026年7月2日)





