課題・背景:ノンコア整理の定石を覆す、稼ぎ頭切り出しの規律
パーシャルスピンオフはこれまで、収益変動が大きい事業や投資判断軸の異なるノンコア事業を切り離す手法として語られることが多い。事実、先行するレゾナックHD(石油化学事業)の事例はこの定石どおりの動きだった。
しかし、富士フイルムホールディングスが2026年8月6日に発表した検討は、これとは逆の対象を選んだ。複合機・オフィス機器を担う富士フイルムビジネスイノベーション(旧富士ゼロックス)は連結売上高の約35%(2026年3月期・約1兆1,748億円)を占める最大部門であり、決して不振事業ではない。むしろ稼ぎ頭に近い規模を持つ。
一方、同社が中期的に成長投資を集中させてきたのはヘルスケア・半導体材料の領域である。複合機市場自体の成長率はこれらに比べて緩やかであり、「稼いではいるが、資本配分の優先順位では成長領域に劣後する」という構造的なジレンマが経営陣に意識されてきた。「稼ぎ頭だから残す」ではなく「稼ぎ頭であっても優先順位で判断する」——この規律が、パーシャルスピンオフの使われ方を一段階広げることになった。
取り組みの経緯:複合機の会社が歩んだ半世紀、そして検討開始の表明
富士フイルムビジネスイノベーションの起点は1962年、富士写真フイルムとランク・ゼロックスの合弁会社として設立された富士ゼロックスにさかのぼる。複写機・複合機を中核とする事業会社として、国内オフィス機器市場を長年支えてきた。
2019年11月、富士フイルムHDは富士ゼロックスを100%子会社化。2021年4月には社名を現在の「富士フイルムビジネスイノベーション」に変更し、グループ内での位置づけを明確にした。合弁解消から社名変更まで、独立した事業運営能力を整えるのに半世紀余りをかけた事業を、今度は資本面でも独立させる——これが今回の検討の文脈である。
2026年8月6日、富士フイルムホールディングス(代表取締役社長・CEO 後藤禎一)は、同事業を対象としたパーシャル・スピンオフを含む戦略的選択肢の検討開始を、決算開示と同時に公式発表した。
同日の決算記者会見では、樋口昌之CFOが次のように述べている。
成長投資の必要な半導体(材料)やバイオに投資余力が生まれるようなスプリット(分割)をして、投資機会をとらえる。
― 富士フイルムホールディングス 樋口昌之CFO(決算記者会見、日本経済新聞2026年8月6日付報道より)
短いコメントだが、含みは重い。分離の狙いが単なる事業整理ではなく、成長領域への再投資原資の確保にあることを、この一言は明確に示している。背景には、令和8年度税制改正による「新事業活動」要件の廃止がある。従来のパーシャルスピンオフ税制は分離先が新規事業を行うことを前提としていたため、複合機のような既存の収益事業の切り出しには使いにくかった。この要件緩和により、レゾナックHD(石油化学事業)に続き、既存の主力事業を対象にした大型の適用検討が可能になった。
サービス・事業の仕組み:制度は共通、対象の性格は逆
検討されている分離の型——親会社が対象事業会社の株式の一部を継続保有しつつ、残りを既存株主へ現物配当として按分し、対象会社を独立して株式上場させる枠組み自体は、戦略的スピンオフ vs 戦術的スピンオフという分類で整理すると見通しがよい。先行するソニーFGは制度の先行活用、レゾナックHDはノンコア事業の整理、そして富士フイルムHDは主力事業そのものの独立——同じ制度の上に、3つの異なる目的が並んでいる。
富士フイルムHDの場合、対象は複合機・オフィス機器関連事業を集約する富士フイルムビジネスイノベーションであり、旧富士ゼロックスとしての事業基盤・顧客基盤をそのまま引き継ぐ形になる見込みだ。税制適格の要件上、親会社の継続保有は20%未満に限られる——富士フイルムHDはこの上限に近い20%弱を保有する方向で検討しているが、正式な保有比率や株式分配の具体的な条件は、今後の取締役会決議・開示を待つ段階にある。
完全に手放さず20%弱を残す設計には、資本関係を絶つのではなく緩めるという狙いが透けて見える。イメージング・材料事業との技術的な接点や、複合機販路を通じた顧客基盤の間接的な活用余地を残しておく——現時点で公式な説明はないが、こうした関係維持の意図を持つ設計と読むのが自然だろう。
同社は分離・上場の検討に2〜3年程度をかけて段階的に進める方針を示しており、レゾナックHD(検討開始発表2024年2月〜上場申請2026年5月=約2年3カ月)と近い時間軸での進行が想定される。
成果と現状:検討開始段階、確定事項は今後の開示待ち
現時点(2026年8月6日発表時点)では、あくまで「戦略的選択肢の検討開始」の表明にとどまる。パーシャルスピンオフの実施・株式分配比率・上場時期は、まだ何も正式決定していない。「分離が決定した」と読むのは、早すぎる。
ただし、CFOの発言から半導体材料・ヘルスケア領域への投資余力創出という狙いは明確だ。連結売上高の3分の1超を占める事業の分離検討は、これまでのパーシャルスピンオフ適用例の中でも最大級の規模になる。
この事例から学べること
自社で連結売上高最大の事業を分離候補に挙げる議論は、多くの企業で「稼いでいる事業になぜ手を付けるのか」という反発に遭い、社内で潰れやすい。富士フイルムHDの検討が示すのは、その反発を超えて着手した先例だという点にある。事業ポートフォリオの見直しを担う新規事業開発・経営企画部門にとって、稼ぎ頭を聖域にしない議論をどう社内合意に持ち込むかの参考になる。
- 「稼ぎ頭であること」と「資本配分上の優先事業であること」は別軸であるという経営判断の構造が読み取れる。連結売上高で最大の比率を占める事業であっても、成長投資効率の観点で見劣りすれば、分離検討の対象になり得る
- パーシャルスピンオフはノンコア事業の整理だけでなく、収益の柱を独立させる選択肢としても使われ始めている。「不要な事業の切り離し」という固定観念だけで捉えると、事業ポートフォリオ再編の全体像を見誤る
- 「連結最大部門だから」「知名度の高いブランドだから」という理由だけでは、ポートフォリオの聖域化を正当化しない——それが今回の検討開始が示す規律の核だ。旧富士ゼロックスという知名度の高い事業であっても、資本配分の議論の対象から外されなかった点は、自社のノンコア事業の扱いを検討する際の参考になる
- パーシャルスピンオフの用途は、「ノンコアの整理」から「稼ぎ頭の独立」へ広がった。次に切り出されるのは、どの会社のどの事業か





