【背景】教育出版の雄が「介護」に活路を見出した理由
学研ホールディングス(旧・学習研究社)は、1946年創業の教育出版企業である。学習雑誌『科学』と『学習』で知られ、戦後日本の子どもたちの学びを支えてきた。しかし2000年代に入ると、少子化の進行と出版不況により、従来の教育出版事業だけでは成長が見込めない局面を迎えていた。
当時の経営陣は訪問販売事業からの撤退を模索する中で、社員に対して「10年後20年後に学研の主力事業になるもの」を考えるよう号令をかけた。この問いに応えたのが、学習雑誌の編集・営業を担当していた小早川仁である。小早川は少子高齢化という社会構造の変化に着目し、高齢者向け住宅事業への参入を企画。2002年に社内で承認を得た。
教育と介護。一見すると全く異なる領域だが、**「人の成長と生活を支える」**という本質では共通している。この気づきが、学研グループの第二の柱を築く出発点となった。
【課題】教育企業がゼロから介護事業を立ち上げる困難
2004年、小早川仁を含むわずか3名の社内ベンチャーとして株式会社学研ココファンが設立された。しかし、教育出版の社員が介護事業を始めるという試みには、複数の深刻な課題が立ちはだかった。
第一に、業界知識とノウハウの欠如である。介護・福祉業界は法規制が複雑で、施設運営には介護保険制度への深い理解が不可欠である。教育畑出身のメンバーにとって、これは未知の領域であった。
第二に、社内外の懐疑的な視線である。「なぜ学研が介護なのか」という疑問は、社内からも社外からも向けられた。出版社が高齢者住宅を運営するという構想に、当初は理解を得にくかったとされる。
第三に、事業モデルの確立である。当時の高齢者向け住宅市場は、高額な入居一時金を前提とした有料老人ホームが主流であった。入居者にとって経済的ハードルが高く、学研が目指す「誰もが安心して暮らせる住まい」とは乖離があった。
【解決策】「学研らしさ」を武器にした独自モデルの構築
学研ココファンが編み出した解決策は、教育企業ならではの強みを介護事業に転用する独自のアプローチであった。
賃貸型サ高住という事業モデル
従来の有料老人ホームが数百万円から数千万円の入居一時金を求めるのに対し、ココファンは賃貸住宅形式を採用した。入居一時金を不要または低額に設定し、月額の家賃と生活支援サービス費で運営する。介護が必要になっても退去せず住み続けられる「住宅」としての設計が特徴である。
2011年に高齢者住まい法が改正され「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」制度が創設されると、ココファンのモデルはまさにこの制度と合致した。制度化以前から同様のコンセプトで事業を展開していた先見性が、「サ高住のパイオニア」という評価につながっている。
教育企業のDNAを活かした人材育成
学研グループが最も差別化を図った領域が介護人材の育成である。教育企業として長年蓄積してきた「教える」ノウハウを、介護職員の研修体系に落とし込んだ。企業理念の浸透から始まり、階層別研修(新人・リーダー・管理者)と専門職研修を体系的に実施している。
介護業界は慢性的な人材不足に悩まされているが、ココファンは「介護職からリーダー、そして所長へ」という明確なキャリアパスを用意することで、定着率の向上を図っている。「教育のプロ」が設計した研修制度は、異業種参入の最大の武器となった。
「学研版地域包括ケアシステム」の構想
ココファンが掲げる独自のビジョンが「学研版地域包括ケアシステム」である。高齢者だけを対象とするのではなく、0歳から100歳超までの全世代が地域で安心して暮らし続けられる街づくりを目指す。実際に、高齢者住宅と保育園を同じ建物内に設置し、多世代交流が自然に生まれる環境を整備している施設もある。
【成果】3名の社内ベンチャーが「第二の柱」へ
事業規模の飛躍的拡大
2005年に5事業所からスタートしたココファンは、20年を経て全国223拠点・11,604室(2025年4月時点)を擁する規模にまで成長した。転機となったのは2010年の「ココファン日吉」の開設である。横浜市とUR都市機構が進めた団地建替え事業のコンペに当選し、行政機関や国会議員の視察、メディア取材が相次いだことで、施設増設のペースが一気に加速した。
M&Aによる事業拡張
自社開発に加え、M&Aによる積極的な事業拡張もココファンの成長を支えている。2018年には認知症グループホーム大手の**メディカル・ケア・サービス(MCS)**を日本政策投資銀行と共同で約90億円で買収し、子会社化。これにより居室数は合計約11,900室となり、業界4位の規模に躍進した。
2023年にはジェイ・エス・ビーとの業務提携に伴い、グランユニライフケアサービス(15拠点)を譲受。さらに2025年には福祉用具会社のパラメディカルをグループ化し、「杖一本から看取りまで」を標榜する一気通貫の介護サービス体制を構築しつつある。
学研グループの業績を牽引
学研ホールディングスの2025年9月期連結決算では、売上高1,991億円(前年比7.3%増)、営業利益82億3,700万円(前年比19.7%増)と過去最高を更新した。このうち医療福祉セグメントの売上高は465億8,700万円(前年比9.6%増)で、グループ全体の約23%を占める。かつて「10年後20年後の主力事業」として構想された介護事業は、文字通り学研グループの第二の柱へと成長を遂げた。
キーパーソンの軌跡
この事業を「0から1」で立ち上げたのが小早川仁である。1990年に学習研究社に入社し、学習雑誌『科学』『学習』の編集・営業を経験。2004年に3名で学研ココファンを創業し、2009年には学研ココファンホールディングス代表取締役社長に就任。2020年からは学研ホールディングス常務取締役として、グループ全体の医療福祉戦略を統括する立場に就いた。
共同創業メンバーの一人である五郎丸徹は、2014年に学研ココファンの代表取締役社長に就任し、事業拡大期の経営を担った。小早川が「0→1」を、五郎丸が「1→100」のフェーズを推進した構図である。
【この事例から学べること】
異業種参入の成否は「既存の強みの転用」で決まる。 学研ココファンの事例が示す最大の教訓は、教育企業が介護事業に参入した際、教育とは無関係なスキルを一からつくったのではなく、**「教える力」「人材を育てる力」「ブランドへの信頼」**という既存アセットを介護領域に転用したことにある。
制度変更を「追い風」に変えるには、先に動いておく必要がある。 2011年のサ高住制度創設はココファンにとって追い風となったが、それは2004年から賃貸型高齢者住宅を運営していたからこそである。制度ができてから参入するのでは遅い。市場の構造変化を先読みし、制度化を待たずに事業モデルを構築する先見性が、先行者優位を生む。
社内ベンチャーの成功には「経営トップの覚悟」と「現場の熱量」の両方が要る。 当時の学研社長が「10年後20年後の主力事業」を考えよと号令をかけ、それに応えた小早川仁がわずか3名で事業を興した。トップダウンの戦略的意思決定とボトムアップの起業家精神の両輪が噛み合ったことが、この事業を成功に導いた要因である。
「自社開発」と「M&A」の二刀流が、成長速度を変える。 ココファンは自力での拠点開発を続けながら、MCS買収やグランユニライフケアサービス譲受など戦略的M&Aで一気に事業領域と規模を拡大した。新規事業の成長曲線を加速させるには、オーガニック成長だけに頼らない柔軟さが求められる。


