食肉トップ企業が抱えていた「見えない消費者」問題
日本ハムは国内食肉業界のトップ企業でありながら、長年にわたりひとつの構造的課題を抱えていた。スーパーマーケットの精肉売場で販売される食肉は、ストアブランド(小売店のプライベートブランド)として陳列されるため、消費者が「日本ハムのお肉」として認識する機会がほとんどなかったのである。
「シャウエッセン」のような加工品ブランドでは高い認知度を誇る一方、本業である食肉事業では消費者との直接的な接点が極めて限られていた。
卸売・小売チェーンを介した流通構造では、消費者の嗜好やニーズをリアルタイムで把握することが難しい。この「見えない消費者」問題を解決し、ブランド価値を高めるために、日本ハムが選んだ手段がD2C(Direct to Consumer)事業への参入であった。
Vision2030「たんぱく質を、もっと自由に。」が生んだ新規事業
2021年、日本ハムは長期ビジョン「Vision2030」を策定し、「たんぱく質を、もっと自由に。」というスローガンを掲げた。このビジョンの実現に向け、新規事業推進部が新設される。
新規事業は「エンタメ」「ウエルネス」「エシカル」の3領域で構想された。2022年3月に開催された新規事業戦略発表会では、食のエンターテインメントをテーマにした「Meatful」と、食物アレルギーケアに寄り添う「Table for All」という2つのD2Cプラットフォームの立ち上げが発表された。
「食の社会課題解決に向けた新規事業として、『たんぱく質の安定供給』『食物アレルギー』対応を強化する」
――食の社会課題解決に向けた新規事業を発表(日本ハム プレスリリース, 2022年3月)
注目すべきは、Meatfulで販売される商品のうち「おうちフェス」と「DRY MEATS」が、もともと 社内公募制度で受賞したアイデア だったという点である。受賞当時はD2Cで販売するチャネルが社内に存在しなかったが、新規事業推進部の創設によって商品化への道が開かれた。社内に眠っていたアイデアが、組織構造の変革によって日の目を見た好例といえる。
業界の慣習を超えたD2C事業の設計
Meatfulの事業設計を支えたのは、Accenture Song(旧Accenture Interactive)およびDroga5 Tokyoとの協業体制である。食品業界においてD2Cは当時まだ珍しく、卸売・小売チェーンへの配慮から「メーカーが消費者に直販すること」自体がタブー視される風潮もあった。
そのため、Meatfulでは 既存商品を一切販売しない という方針が採られた。「シャウエッセン」のような定番商品は扱わず、既存の流通チャネルでは提供できない新しい食体験だけをD2Cで届ける。この棲み分けが、卸先との関係を損なわずに新規事業を推進するための重要な設計判断であった。
「強みの食肉や加工技術を活用し、ワイン専門商社やシェフとの協働企画、北海道の地元ワインやビール工房との連携など、5つの領域で商品やサービスを提供する」
――日本ハム、D2Cプラットフォーム「Meatful」を立ち上げ(日本経済新聞, 2022年3月)
2022年4月より商品販売を開始。ワイン専門商社エノテカとの協業による「お酒ペアリング」、北海道道南エリアの地元企業とコラボした「Meets Hokkaido」、6種の肉を楽しめる新感覚ジャーキー「DRY MEATS」、手づくり食体験キット「おうちフェス」など、従来の食肉メーカーのイメージを覆すラインナップを展開した。
2030年売上100億円を目指す成長戦略
日本ハムは新規事業全体で2025年度の単年度黒字化、 2030年度には売上高100億円を目標 に掲げている。内訳はエンタメ・エシカル事業で60億円、ウエルネス事業で40億円の計画である。
Meatfulは単なるEC事業ではなく、情報提供から直販までを一気通貫する「食のコンテンツコマース」を志向している。サイトを訪れれば食に関する疑問が解決し、必要な商品まで購入できるプラットフォームとして、消費者との継続的な関係構築を目指している。
食肉業界最大手が、既存の流通構造を壊さずに消費者との直接接点をつくる。この「両利きの経営」のアプローチが、Meatfulの本質的な価値である。
この事例から学べること
第一に、社内公募と新規事業部門の連携効果である。 社内に眠っていた優れたアイデアも、事業化のためのチャネルがなければ形にならない。日本ハムは新規事業推進部の創設によって、過去の公募受賞アイデアに商品化の機会を提供した。社内公募制度は「アイデア収集」だけでなく「事業化の受け皿」とセットで設計する必要がある。
第二に、既存事業との共存設計の重要性である。 D2C参入にあたり、既存の流通チャネルで販売している商品は一切扱わないという明確なルールを設けた。これにより、卸先・小売先との関係を維持しつつ新規事業を推進できた。大企業の新規事業では、既存事業部門との軋轢をいかに回避するかが成否を分ける。
第三に、外部パートナーとの協業によるスピード確保である。 Accenture Songとの協業により、D2Cのノウハウを持たない食品メーカーが短期間でプラットフォームを立ち上げることに成功した。自社に足りないケイパビリティは外部から調達するという判断が、事業のスピードを大きく左右する。


