課題・背景:サウナブームと「時計」の空白地帯
2020年代、日本では サウナブーム が社会現象化した。「ととのう」という体験価値が若年層を中心に浸透し、サウナ施設数は増加の一途をたどった。しかし、サウナ室内で使える実用的な腕時計は市場に存在しなかった。
サウナ室の温度は 80度から100度 に達し、湿度もきわめて高い。通常の腕時計はこの環境に耐えられず、多くのサウナーは 12分計 (壁掛けの砂時計や時計)に頼るか、体感で時間を計っていた。しかし12分計が設置されていない施設も多く、自分のペースで正確に時間管理できるデバイスへのニーズは潜在的に大きかった。
取り組みの経緯:同期4人の「TEAMサ」が動かした社内
サ時計の誕生は、一人のカシオ社員がサウナで感じた素朴な疑問から始まった。「サウナに入っていると、今何分経ったのかわからない。G-SHOCKのような タフな時計を作れるカシオ なら、サウナでも使える腕時計を作れるのではないか」。この着想に共感した同期の社員 4人 が 「TEAMサ」 を結成する。
彼らはカシオの社内新規事業提案プログラム 「IBP」 に応募し、採択された。メンバーは時計の設計や製造に直接携わる部署の人間ばかりではなく、マーケティングの視点を持つ社員も含まれていた。製品のコンセプトは明快で、「 サウナの中で使える腕時計 」であり、機能も「 12分タイマー と 通常時刻表示 のワンボタン切り替え」というシンプルさに徹した。
サービス・事業の概要:100度に耐える「ととのい」のパートナー
サ時計(型番: SAN-100H )は、カシオがG-SHOCKをはじめとする 耐環境設計 で蓄積してきた技術を、サウナという新しいユースケースに転用した製品である。 100度の高温 と 高湿度 に耐える設計でありながら、価格は 9,800円(税込) に抑えられた。
最大の特徴は、通常の時刻表示モードとサウナ用の 12分計モード をボタン一つで切り替えられる点だ。サウナ入室時にボタンを押すだけで12分のカウントが始まり、自分にとって最適な入浴時間を正確に管理できる。デジタル表示で視認性が高く、薄暗いサウナ室内でも見やすい設計となっている。
市場検証として、2024年12月にクラウドファンディングプラットフォーム 「Makuake」 で販売を開始した。結果は圧倒的で、 約2,200台が開始からわずか9分で完売 した。「サウナイキタイ」とのコラボモデルも用意され、サウナコミュニティからの強い支持を証明した。
成果と現状
クラウドファンディングの成功を受けて、2025年10月17日に一般販売が開始された。オレンジバンドの SAN-100H-7B とブラックの SAN-100H-1B の2モデル展開で、販売実績は 想定の1.3倍 で推移している。日経クロストレンドの報道によれば、サウナ愛好家だけでなく、カシオの時計に新しい価値を見出した層からの購入も見られるという。
TEAMサの取り組みは、カシオ社内でも若手社員の自発的な事業創出の 成功モデル として注目されている。大企業が持つ技術資産を、社員の「好き」や「困った」から出発して新しい市場に適用するという手法の有効性が実証された事例である。
この事例から学べること
第一に、「自分がユーザーである」という当事者性は、どんな市場調査よりも深い課題理解を生む。 TEAMサのメンバーはサウナが好きで、自らの体験から課題を発見した。顧客インタビューを経ずとも、製品に必要な機能と不要な機能を正確に判断できたのは、この当事者性ゆえである。
第二に、クラウドファンディングは「資金調達」ではなく「市場検証」のツールとして活用すべきである。 カシオほどの企業にとって、数千台分の資金調達は必要ない。Makuakeの真の価値は、「この製品に対してお金を払う人が何人いるか」を定量的に証明できる点にある。9分で2,200台完売というデータは、社内での事業承認に対する最強の根拠となった。
第三に、「機能のシンプルさ」が市場創出の鍵である。 サ時計の機能は12分計と通常時計の切り替えだけだ。多機能化の誘惑を退け、「サウナで使う」という一点に絞り込んだことが、製品のメッセージ性を高め、ターゲット顧客への訴求力を最大化した。


