概要
日立ソーシャルイノベーションは、日立製作所が2009年の経営危機を契機に確立した事業戦略の総称である。 IT×OT×プロダクトの融合 で社会課題を解決するというコンセプトのもと、エネルギー、モビリティ、ヘルスケア、産業の4領域を重点ドメインに据える。
「社会イノベーション事業」という名称は、単なる新規事業プログラムではなく、 日立の経営戦略そのもの を意味する。IoTプラットフォーム「Lumada」を技術基盤に、顧客企業や社会インフラの運営者と共同で課題を定義し、デジタル技術を活用した解決策を実装する。
2024年度のLumada事業売上収益は 約3兆210億円 に達し、全社売上の約31%を占める。日立はもはや「電機メーカー」ではなく、 社会インフラのデジタル変革企業 として再定義されている。
詳細
戦略転換の背景 — 7,873億円の赤字が生んだ覚悟
2009年3月期、日立は 7,873億円の最終赤字 を計上した。「何でも作る」総合電機モデルの限界が露呈した瞬間である。中西宏明社長(当時)は、利益率の低い事業の売却と社会インフラ×IT領域への集中を決断した。
上場子会社の完全子会社化や事業売却を段階的に進め、日立化成、日立金属、日立建機といった主要グループ企業を再編。痛みを伴う「選択と集中」の結果、 社会イノベーション事業に経営資源を集中 できる体制が整った。
協創の仕組み — NEXPERIENCEと「協創の森」
日立のイノベーションアプローチの特徴は、 顧客と共に課題を発見するところから始める「協創」 にある。2015年に体系化された方法論「NEXPERIENCE」は、デザインシンキングの手法を取り入れた協創プロセスであり、以下のステップで構成される。
第一に、顧客やパートナーとワークショップ形式で 課題を可視化 する。第二に、データ分析やシミュレーションで 課題の構造を解明 する。第三に、プロトタイプを作成し 実証実験で検証 する。
2019年に開設された「協創の森」は、この方法論を実践するための物理的拠点である。東京・国分寺のキャンパス内に設けられ、顧客企業の経営者やエンジニアが日立の研究者と 泊まり込みで課題解決に取り組む 場を提供している。
Lumadaの三段進化
社会イノベーション事業のデジタル基盤であるLumadaは、3つのフェーズで進化してきた。
Lumada 1.0(2016年〜) はIoTプラットフォームとして、工場や社会インフラの運用データを収集・分析する基盤を構築した。 Lumada 2.0(2021年〜) はGlobalLogic買収を契機にデジタルエンジニアリング機能を統合し、顧客のバリューチェーン全体のデジタル化をカバーする体制に拡張した。 Lumada 3.0(2025年〜) はAI×ドメインナレッジの融合を主題とし、社会インフラのトランスフォーメーションを加速する。
グローバル展開とM&A
日立の社会イノベーション事業がグローバルで競争力を持つ要因のひとつが、 大胆なM&A戦略 である。2021年のGlobalLogic買収(約96億ドル)は、デジタルエンジニアリング能力の獲得を目的としたもので、日本企業のデジタル関連M&Aとしては異例の規模であった。
ABBの送配電事業買収(2020年完了)により、エネルギー領域のグローバルプレゼンスも大幅に強化された。これらのM&Aにより、日立は 日本の製造業からグローバルな社会インフラ企業 へと変貌を遂げている。
学べること
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「危機」を変革の燃料とする: 2009年の巨額赤字がなければ、「総合電機」からの脱却は実現しなかった可能性が高い。経営危機は戦略転換の最強の推進力となりうる。
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自社の「三位一体」の強みを見極める: IT・OT・プロダクトのすべてを持つ企業はグローバルでも稀である。自社固有の組み合わせ優位性を特定し、それを活かすプラットフォーム戦略が有効。
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協創方法論を「型」にする: NEXPERIENCEのように顧客協創のプロセスを体系化し、再現性のある形に落とし込むことで、属人的なイノベーションから組織的なイノベーションへ移行できる。