ハードウェアに縛られた映像制作の限界
テレビ放送やライブイベントの映像制作は、長らく専用ハードウェアに依存してきた。複数カメラの映像をリアルタイムに切り替えるスイッチャー、映像にグラフィックスを合成するキーヤー、それらを統合する大型の中継車。数千万円から数億円規模の機材投資が前提となる世界である。
映像処理能力はハードウェアの性能に制約され、ME数(Mix/Effect)やKEY数に上限があった。解像度や画角も固定的で、演出の自由度には明確な天井が存在していた。
さらに、撮影から編集、配信に至るワークフローは分断されていた。現場で撮影した素材を物理メディアで持ち帰り、別の拠点でアップロード・整理・編集・書き出しを行う。この工程が、時間と場所の両面で映像制作の効率を大きく制約していた。
ソフトウェアで映像処理を「再発明」する
2020年5月、パナソニックはNAB Show(世界最大の放送機器展示会)に合わせて、IT/IPプラットフォーム「KAIROS(ケイロス)」の開発を発表した。ギリシャ語で「決定的な瞬間」を意味するこの名称には、映像制作の転換点を作るという意志が込められている。
KAIROSの革新性は、従来ハードウェアが担っていた映像処理をCPU/GPUベースのソフトウェアで実行する点にある。汎用IT機器上で動作する独自のソフトウェア技術により、ME数・KEY数に制約されないマルチレイヤー構成を実現。解像度や画角に縛られない「CANVAS」スクリーン機能で、複数のカメラ映像、スマートフォン映像、グラフィックスを自由なレイアウトで組み合わせる演出が可能になった。
「GPUを使い従来にない高い自由度のライブ映像処理を低遅延で実現する独自の革新的なソフトウェア技術を基幹とし、オープンソフトウェアアーキテクチャーを採用することで、システムとして高い柔軟性と拡張性を備えている」
――IT/IPベースのライブ映像プラットフォーム”KAIROS”を開発(パナソニック プレスリリース, 2020年5月)
2020年9月に「KAIROS オンプレミス」として発売を開始。放送局やスタジアムなど、リアルタイム性と低遅延が求められる現場を中心に導入が進み、ジャパネットブロードキャスティングやサイバーエージェントの「Chateau Ameba」スタジオなど、国内外で 40社以上・50システム以上の導入実績 を積み上げた。
NAB Show 2022では「THE 2022 PRODUCTIONHUB AWARDS OF EXCELLENCE」を受賞し、グローバルな映像制作業界からもその革新性が認められている。
クラウドへの進化 ― サブスクリプション型映像制作の誕生
2022年6月、パナソニック コネクトはKAIROSをクラウド上で提供する「KAIROSクラウドサービス」の提供を開始した。オンプレミス版で培った映像処理技術をクラウドプラットフォーム上に移植し、サブスクリプション型で利用できるサービスとして再構築したものである。
このクラウド版により、「撮る・創る・映す」というワークフロー全体がシームレスにつながった。現場からネットワークに接続するだけで、遠隔地のカメラやスマートフォンからのストリーミング伝送、リモートライブスイッチングが可能になり、 約30%の業務効率化 を実現するとされる。
「サブスクリプション型サービスで初期投資を抑え、最適かつ最新のサービスをいつでも、どこでも利用でき、手軽により良い映像を制作できる環境を提供する」
――サブスクリプション型 映像制作ソリューション「KAIROSクラウドサービス」を6月27日から提供開始(パナソニック プレスリリース, 2022年6月)
中継車なしでスポーツ実況のスイッチングを遠隔で行い、スマートフォンで撮影したベンチ裏の映像もリアルタイムに反映させる。撮影した素材を即座にクラウドに伝送し、自宅やオフィスから編集に取り掛かる。従来の映像制作の常識を覆すワークフローが現実のものとなった。
共創パートナーと2026年度30億円の目標
パナソニック コネクトは、KAIROSクラウドサービスの事業拡大に向けて2つのカテゴリーの共創パートナーを募集している。技術連携によるサービス進化を担う「テクノロジーパートナー」と、新たなワークフローによる映像制作の実践と情報発信を行う「プロモーションパートナー」である。
放送局だけでなく、地方テレビ局、大学、企業のイベント配信など、従来は大規模な機材投資が障壁となっていた領域にも市場を広げている。2024年には、テレビ北海道、宮城テレビ放送、静岡第一テレビなどの地方局や、関西大学などの教育機関での導入事例が報告されている。
2025年2月には、大阪・関西万博においてIOWN APNを活用したリモートプロダクションに「KAIROS オンプレミス」を提供し、在阪放送局が共同利用するプロジェクトも発表された。
パナソニック コネクトは 2026年度に350社の利用、30億円の売上 を目標として掲げている。
この事例から学べること
KAIROSの事例は、BtoB領域における「ハードウェアからソフトウェアへ」のパラダイムシフトを、大企業がどのように主導できるかを示している。
第一に、自社のハードウェア事業を「自らディスラプト」する覚悟である。 パナソニックは放送用映像機器のハードウェアメーカーとして確固たる地位を持つ。にもかかわらず、ソフトウェアベースのプラットフォームを自ら開発し、さらにクラウド・サブスクリプション化することで、従来のハードウェア販売モデルを自ら変革した。既存事業の延長線上にとどまらない決断が、新市場の開拓につながっている。
第二に、オンプレミスからクラウドへの段階的な展開である。 まず放送局やスタジアムという「要求水準の高い現場」でオンプレミス版の実績を積み、技術の信頼性を証明した上で、クラウド版へと展開した。この段階的アプローチにより、技術リスクを抑えながら市場を拡大することに成功している。
第三に、共創パートナー制度を通じたエコシステムの構築である。 単なるツール提供にとどまらず、技術パートナーやプロモーションパートナーとの共創により、新しいワークフローの普及を加速させている。プラットフォームビジネスに不可欠なネットワーク効果を意識した事業設計である。


