課題・背景
共働き世帯の増加に伴い、 子育て中の家庭の「食」にかかる負担 は深刻化している。特に1歳6ヶ月〜6歳の「幼児食」は、離乳食のように専用製品が充実しておらず、大人の食事とも異なる栄養バランスが求められる 「手作りの負担が最も重い時期」 であった。
ハウス食品グループは国内食品市場の成熟に直面しており、 既存のカレー・調味料事業 に次ぐ新たな成長領域の開拓が経営課題であった。「食」を軸としながらも、従来のスーパーマーケットの棚を争うビジネスモデルとは異なるアプローチが求められていた。
取り組みの経緯
ハウス食品グループは2020年、新規事業創出プログラム「 GRIT(グリット) 」を開始した。入社4年目以上の全社員を対象とした挙手制の公募プログラムで、毎年10〜20件のエントリーが寄せられている。「GRIT」の名称は「 度胸 」を意味し、社員の挑戦心を喚起する狙いが込められている。
GRIT第1期から採択された2つの事業が「 Kidslation(キッズレーション) 」と「 タスミィ 」である。いずれも提案者は 育児中の社員 であり、自身の子育て経験から得た切実な課題を事業化するものであった。
2023年1月、この2事業の実証を担う子会社「 パッチワークキルト株式会社 」が設立された。既存の食品事業とは異なる評価基準とスピード感で事業検証を行うための専用法人である。
サービス・事業の概要
「 Kidslation 」は、 1歳6ヶ月〜6歳を対象とした冷凍幼児食のサブスクリプションサービス である。保育園の管理栄養士が監修し、ハッシュドビーフやサバカレーなど、栄養バランスと味の両方を追求したメニューをECで定期配送する。
「 タスミィ 」は、 保育園に設置した自動販売機でパウチ入り惣菜を販売する サービスである。キーマカレーや煮込みハンバーグなど10品目のメニューを展開し、1袋400円で提供する。2023年4月から千葉県内の保育園でサービスを開始した。
タスミィの最大の設計意図は、 保育園の送迎動線上に購入接点を置いた ことにある。「忙しいのに買い物に行く時間がない」という親のペインを、 毎日必ず通る保育園の出入り口 で解決する発想である。
成果と現状
Kidslationはサブスクリプション会員を順調に獲得しており、「 幼児食という市場のブルーオーシャン 」に先行者として参入したポジションを確立しつつある。タスミィは保育園への設置拠点を拡大中であり、保育施設との提携ネットワークの構築を進めている。
パッチワークキルトは両事業のPMF(プロダクト・マーケット・フィット)の検証を継続しながら、ハウス食品グループの 食品開発力と品質管理体制 を活用した製品力の向上に取り組んでいる。
GRIT制度自体も4年目を迎え、 社員の挑戦文化の醸成 に一定の効果を上げている。毎年の応募数が安定していることは、制度が単なるイベントではなく組織文化として根付き始めた証左である。
この事例から学べること
第一に、「社員の個人的な課題体験」が最も解像度の高い事業シーズとなることの実証である。 KidslationもタスミィもGRITへの応募のきっかけは提案者自身の育児経験であった。ペルソナ設定やデスクリサーチでは到達しにくい「当事者ならではの解像度」が、ニッチだが深いペインの特定を可能にした。社員一人ひとりの人生経験を事業シーズに変換する仕組みは、大企業の新規事業制度が持つ最大のアドバンテージである。
第二に、「顧客動線上の接点設計」という物理的チャネル戦略である。 タスミィが保育園を選んだのは、ターゲット顧客(子育て中の親)が「毎日必ず通る場所」だからである。ECやスーパーでは埋もれるニッチ製品を、ターゲットとの物理的接触が最大化される場所に置くチャネル戦略は、既存流通に依存しない新規事業の突破口となる。
第三に、新規事業専用子会社の設立による「評価基準の隔離」である。 パッチワークキルトの設立は、既存の食品事業と同じP/L基準で新規事業を評価することの弊害を回避する組織設計である。既存事業の論理で新規事業を「殺さない」ために、独立した器を用意する判断は経営の英断と言える。


