家電量販店が直面する「売り切りモデル」の限界
家電量販業界は、人口減少とEC化の進行により国内市場の成長が鈍化している。家電製品は一度購入すると数年間買い替えが発生しないため、顧客との接点は販売時に限られる。
こうした「売り切りモデル」の限界を打破するため、多くの家電量販チェーンが継続的に収益を得る「リカーリングモデル」への転換を模索していた。
ビックカメラグループも例外ではなく、新たな成長戦略としてサブスクリプション型の事業を検討していた。その答えとして選ばれたのが、宅配水事業「puhha」である。
新社長の初日に発表された「第一弾」事業
2022年9月1日、ビックカメラの新社長・秋保徹は就任初日の任務として、宅配水サービス「puhha」の発表会を開催した。この日程の選択自体が、puhhaがビックカメラグループにとって戦略的に重要な事業であることを示していた。
「暮らしに不可欠な水であること。顧客の生活に豊かさや幸せを提案していきたい」
――ビックカメラ、秋保徹新社長の初日の任務 宅配水サービス「puhha」事業を発表(BCN+R, 2022年9月)
puhhaは、前社長・木村一義が唱えた「SPA(製造小売)」と「リカーリングモデル」を具現化する第一弾事業として位置づけられた。家電の売り切りではなく、月額課金で顧客との継続的な関係を構築する新しい収益源である。
秋保社長は参入理由として3つの要素を挙げた。生活必需品としての水の普遍的需要、年間約1,816億円で成長を続ける宅配水市場、そしてビックカメラ37店舗・コジマ123店舗という実店舗ネットワークによる競争優位性である。
26億円の工場投資 ― 大企業ならではの「本気」の参入
ビックカメラグループは、子会社のビックライフソリューションを通じて、山梨県富士吉田市に 総工費約26億円の採水工場 を建設した。延べ床面積8,361平方メートルの鉄骨造りで、9.5Lボトルを 月間80万本生産 できる体制を整えた。
「ビックカメラグループでは、『進化し続ける”こだわり”の専門店の集合体』を原点とし、成長戦略として新たな収益源の開拓にも取り組んで参ります。この度新規参入する宅配水事業は、継続的に収益を得るリカーリング事業として展開して参ります」
――みんながうれしいウォーターサーバー「puhha」申込受付を開始(ビックライフソリューション プレスリリース, 2022年9月)
ウォーターサーバー本体も自社で企画開発した。誰もが使いやすい安心の高さ設計、5段階の水温設定、手元が明るいLEDライト、自動学習機能によるメンテナンスなど、使う人想いの機能を詰め込んだ。
料金体系は、9.5L×2本で月額3,350円。サーバーレンタル料・配送料・入会金はすべて無料とし、支払いは水代のみというシンプルな設計にした。ビックポイントも付与され、1ポイント=1円としてビックカメラグループの店舗・ECサイトで使えるという、自社経済圏への囲い込み戦略も組み込まれていた。
「店舗や販売員で顧客との直接接点を保ちながら支援できることが他社にはない最大の強み」
――ビックカメラが「宅配水」に参入。リアル接点でくらし応援(Impress Watch, 2022年9月)
富士吉田市とは「地下水を活用した事業の実施に関する協定」も締結し、地域の雇用創出や環境保全への貢献も掲げていた。
2年で事業譲渡 ― 何が起きたのか
しかし、puhhaの事業は期待通りには進まなかった。
5年以内の黒字化を目標としていたが、2024年5月7日、プレミアムウォーターホールディングスがpuhhaと浄水型ウォーターサーバー「TAPURI」の事業を継承すると発表。同日、ビックライフソリューションは新規申し込みの受付を停止した。
「プレミアムウォーター富士株式会社がビックライフソリューションの水関連サービスを引き継ぐことで、生産性の向上を図れると考え、事業の継承を決定した」
――ビックカメラグループの「puhha」と「TAPURI」の事業継承を発表(プレミアムウォーター プレスリリース, 2024年5月)
2024年6月28日付で正式に事業譲渡が完了。ビックカメラグループの宅配水事業は、参入から わずか約2年で幕を閉じた。
この事例から学べること
puhhaの事例は、大企業の新規事業における「投資の順序」について重要な教訓を示している。
第一に、 仮説検証前の大規模投資のリスク である。 26億円の工場建設は、市場での顧客獲得力が検証される前に実行された。リーンスタートアップの考え方では、まず最小限の投資で市場の反応を確認し、PMFを確認してから本格投資に移るのが原則である。
第二に、「強み」の過信である。 160店舗の販売網は確かにユニークなアセットだが、宅配水市場の競争は店舗での販売力だけでは決まらない。プレミアムウォーターやコスモウォーターなどの既存プレイヤーは、Web経由の獲得やアフターサポートで強固な顧客基盤を築いていた。異業種参入において自社の強みがそのまま通用するとは限らない。
第三に、リカーリングモデルの罠である。「継続課金で安定収益」という魅力的な構造も、顧客獲得コスト(CAC)が高く、解約率(チャーンレート)をコントロールできなければ、むしろ赤字が累積する構造になる。特に宅配水市場は解約率が高いことで知られており、既存プレイヤーですら顧客維持に苦心している。
新規事業を検討する際は、puhhaの事例を「大企業がやりがちな失敗パターン」として参照してほしい。まず小さく始めて市場の反応を確認し、PMFの兆しが見えてから投資を拡大する。この原則を守ることが、26億円の教訓から学ぶべき最大のポイントである。


