課題・背景
日本は世界有数の 超高齢社会 であり、年間の死亡者数は増加の一途をたどっている。しかし、葬儀に参列したくても 遠方に住んでいる、高齢で移動が困難、仕事の都合がつかない といった理由で参列を断念するケースは以前から少なくなかった。
2020年の新型コロナウイルスの感染拡大は、この問題を一気に顕在化させた。葬儀の参列者数は大幅に制限され、 「最期のお別れすらできない」 という深い遺恨が社会問題となった。コロナ禍が収束しても、家族葬の増加や遠隔地の親族の高齢化により、この課題は構造的に解消されない性質のものであった。
取り組みの経緯
博報堂DYグループは、グループ横断のビジネス提案・育成制度「 AD+VENTURE 」を運営している。社員が新規ビジネスのアイデアを提案し、審査を経て事業化を目指す制度である。
「しのぶば」のプランは 2020年8月末にAD+VENTUREの一次審査を通過 した。提案者はグループ内の社員で、自身の親族の葬儀でリアルに感じた「 遠方の親族や友人が故人を偲ぶ場がない 」というペインが起点であった。
事務局のサポートのもとで事業計画を磨き上げ、 2021年2月に事業化承認 を取得。わずか半年後の同年6月に、博報堂DYグループの事業会社「 AD plus VENTURE株式会社 」からサービスをリリースした。
サービス・事業の概要
「 しのぶば 」は、 場所や時を超えて故人を偲ぶ会をオンラインで開催できる追悼サービス である。主に3つのサービスで構成される。
第一に、 オンライン偲ぶ会 。参列者がオンラインで集まり、故人の思い出を共有する場をプロフェッショナルが演出する。博報堂DYグループのイベントプロデュース力が活かされる中核サービスである。
第二に、 よせがきムービー 。参列者から寄せられたメッセージや写真を映像作品として編集する。広告会社としての映像制作ノウハウが直接的に転用されている。
第三に、 追悼サイト の制作。故人の人生を振り返るウェブサイトを作成し、いつでも誰でもアクセスして思い出を共有できるデジタルメモリアルである。
成果と現状
「しのぶば」は、葬儀業界に 新しい付加価値サービス の可能性を示した。従来の葬儀が「告別の儀式」に限定されていたのに対し、時間と場所の制約を超えた「 継続的な追悼体験 」という新しいカテゴリーを創出した。
サービスは葬儀社や寺院との連携を通じて提供されており、既存の葬祭ビジネスを 補完する位置づけ で展開されている。AD plus VENTURE株式会社は引き続きサービスの拡充を進めている。
この事例から学べること
第一に、本業のコア・コンピタンスを「異業種の感情的ペイン」に転用する着眼である。 博報堂DYグループの強みはイベントプロデュースと映像演出である。これを葬祭という全く異なる領域の「故人を偲びたいのにできない」という感情的なペインの解決に転用した。技術や機能ではなく「表現力」や「演出力」というソフトスキルの用途転換は、広告・クリエイティブ企業の新規事業に共通するヒントである。
第二に、「不可逆な構造変化」を見極める目の重要性である。 コロナ禍をきっかけとしたサービスだが、提案者は「高齢化による移動困難」「家族葬の増加」という不可逆な社会構造を見抜いていた。一過性のトレンドではなく構造的な変化に立脚した事業設計は、コロナ後も需要が持続する土台となっている。
第三に、「審査通過から10ヶ月でリリース」というスピードの重要性である。 社内ベンチャー制度の最大の敵は「時間の経過」である。しのぶばは一次審査から約10ヶ月で市場投入に漕ぎ着けた。社会課題が顕在化しているタイミングを逃さず、MVPでの素早い市場投入を優先した判断が事業化を可能にした。


