文具メーカーが「防災」に挑んだ原点
コクヨは文具とオフィス家具で知られる企業であるが、2012年頃から防災という全く異なる領域に踏み出した。きっかけは、オフィスの構築・移転を手がける中で顧客企業から寄せられた 「防災も対応できないか」 という声であった。
当時、企業の防災備蓄品は「とりあえず倉庫に積んでおく」ものであり、オフィス環境との調和や運用の効率性は二の次とされていた。防災用品メーカーは避難所や家庭向けの商品を中心に展開しており、 オフィスに特化した防災ソリューション という市場は事実上存在しなかった。
事業家とデザイナーのコンビによる再構想
防災事業の立ち上げから約7年が経過した2019年、事業は停滞感を迎えていた。この局面で「ゼロから事業を再構想する」と提案したのが、2006年入社の酒井希望と2014年中途入社の岡田量太郎である。
「防災事業は社会的意義があるが、ビジネスとして持続するためには、単なる商品販売ではなくブランドとして確立する必要があった。2段目のロケットを設計し直す時期だと判断した」
――事業家×デザイナーのコンビで防災市場を変革する(Incubation Inside)
酒井はビジネス領域全般を推進し、 4,000人以上の防災担当者 と直接接触してきた現場知見を持つ人物である。岡田はデザイン事務所、町工場、建築事務所を経てコクヨに入社し、ブランドの世界観構築を担った。この事業家とデザイナーの二人三脚が、「ソナエル」ブランドの核となった。
「はたらくに よりそう 防災のかたち」
ソナエルのコンセプトは 「はたらくに よりそう 防災のかたち」 である。従来の防災用品が「非日常のための備え」として日常と切り離されていたのに対し、ソナエルはオフィスの日常空間に自然に溶け込む防災を提案した。
代表的な製品が 「PARTS-FIT」 である。ムダのない箱形状を採用し、かさばりがちな防災備蓄品をオフィスのキャビネットに効率的に収納できる設計が評価され、 グッドデザイン賞 を受賞した。もうひとつの注目製品が 「elecabi」 で、エレベーター内に設置する防災キャビネットとして、閉じ込め時の非常用物資を最小スペースで提供する。
ソナエルの営業アプローチも特徴的である。商品機能を売り込むのではなく、 「根拠のある理由を提示し、顧客の意思決定を支援する」 というコンサルティング型の提案を行う。防災は「やらなくても今すぐ困らない」分野であるがゆえに、合理的な根拠に基づく提案が顧客の行動変容を促す鍵となる。
出口設計まで含めた事業戦略
ソナエルの事業開発で特筆すべきは、立ち上げ当初から 出口設計 を含めた計画を策定していた点である。酒井と岡田は、当時のファニチャー事業責任者(のちの社長)に役員会で直接提案し、既存事業との統合による長期的な事業構造を設計した。
2019年7月、ソナエルはファニチャー事業本部に正式配属された。新規事業が既存事業の一部として組み込まれることで、営業チャネルの共有と顧客基盤の活用が可能になり、持続的な成長基盤が確立された。
この事例から学べること
第一に、「新しいカテゴリを定義する」ことが最大の差別化であるということだ。 ソナエルは既存の防災市場で競争するのではなく、 「オフィス防災」 という新しいカテゴリ自体を創出した。市場が存在しない領域にカテゴリを定義し、その第一人者となる戦略は、大企業の新規事業において極めて有効である。
第二に、事業家とデザイナーの組み合わせがブランド型新規事業の成功パターンであることだ。 防災用品は機能だけでは差別化しにくい。岡田のデザインが「オフィスに置きたくなる防災」という感情的価値を生み、酒井のビジネス知見が収益構造を設計した。異なる専門性の掛け算が、コモディティ化しやすい市場での差別化を可能にしている。
第三に、「出口設計」を最初から組み込む重要性である。 新規事業は「立ち上げ」に注目が集まりがちだが、ソナエルは既存事業部への統合という出口を見据えて事業計画を策定した。新規事業が組織の中で持続的に成長するためには、どのタイミングで、どの事業部に、どのような形で引き渡すかを初期段階で設計することが不可欠である。


