日用品メーカーが「ヘルスケアの常識」を破る
ライオン株式会社はハミガキや洗剤といった日用品で知られるメーカーであるが、「より良い習慣づくりで、人々の毎日に貢献する」という経営ビジョンのもと、従来の製品販売の枠を超えた新しい価値創造を模索していた。
2019年4月、ライオンは新価値創造プログラム 「NOIL」 を始動した。NOILは社名の LIONを逆から読んだ 名称であり、「普通とは違う見方をする」という新規事業への強い意志が込められている。「ヘルスケアの常識を破る事業」をテーマに全従業員からアイデアを募った。
「NOILのプログラム名には、社名を逆さにしてでも既成概念を壊すという覚悟が表れている。従業員に『今までのライオンの常識を忘れろ』というメッセージだった」
――ライオンの存在は、忘れろ!(プロトスター)
quantumが推進パートナーとなり、約 100件 の応募から 10件 が採択された。エントリーシート提出と一次審査の後、2ヶ月間のブラッシュアップ期間を経て二次審査が行われ、さらに3〜3.5ヶ月間の磨き上げを経て最終審査に臨む、段階的な選考プロセスが設計されていた。
営業マン7年目の「辞める覚悟」
NOILに応募した田中和貴は、2013年にライオンに入社し、東京、福岡、大阪の各拠点で 7年間ドラッグストア営業 に従事してきた人物である。営業として全国を転勤する中で、「休日をどう過ごすか」というマンネリに自身が悩んでいた。
「新規事業をやらせてくれないのなら辞める。それくらいの覚悟で直談判した」
――社員から生まれた体験型新規事業「休日ハック」創業秘話(Incubation Inside)
当初の提案は 定額制定食屋 であった。しかし、メンタリング期間中にメンターから「ソリューションありきになっている」と指摘され、顧客課題の本質に立ち返ることを求められた。このピボットを経て、「休日の過ごし方がマンネリしている」という自身の原体験をサービスに昇華させた。
「休日ハック!」 ― 当日まで中身がわからない体験型サービス
2020年2月、田中は 株式会社休日ハック を設立し、ライオンからカーブアウトした。同年10月にリリースした 「休日ハック!」 は、ユーザーが日時や予算などの基本情報だけを入力すると、 当日まで詳細が明かされない おまかせプランを提案するサービスである。
ユーザーにとって初めてのメインスポットと周辺施設を巡る体験型プランが「勝手に企画される」という仕掛けが話題を呼び、リリースから 2ヶ月でLINE登録者数15,000人 を突破した。
2021年3月にはコロナ禍の状況を踏まえ、自宅で楽しめる体験を提案する 「おうちハック!」 をリリース。リリース時には 約900人 からの利用申請が集まった。さらに「おうちハック!グルメ」など、サービスラインナップを拡充していった。
ライオンによる全株式取得 ― カーブアウトの帰結
登録者数と利用者数が当初目標を大幅に上回ったことを受け、2021年7月、ライオンは株式会社休日ハックの 全株式を取得 し、完全子会社化した。カーブアウトによって独立法人としての機動力を確保しつつ事業を立ち上げ、軌道に乗った段階で親会社に回収するという、 二段階の出口モデル が実現した形である。
このモデルは経済産業省が推進する 「出向起業」 の好事例としても取り上げられ、大企業からの新規事業創出における新しい選択肢として注目を集めた。
この事例から学べること
第一に、プログラム名そのものが「文化装置」として機能するということだ。 NOILという名称は、LIONを逆さにするという象徴的な行為を通じて、「既成概念を逆転させる」というメッセージを全社に発信した。新規事業提案制度の設計において、名称やシンボルが組織文化に与えるインパクトは過小評価されがちだが、NOILはその好例である。
第二に、「辞める覚悟」の裏返しとして、会社が「辞めさせない仕組み」を用意する重要性である。 田中は新規事業ができなければ退職するという覚悟を持っていた。NOILという制度がなければ、ライオンはこの人材を失っていたかもしれない。イントラプレナーの情熱を社内に留めるための制度設計は、人材流出防止の観点からも極めて重要である。
第三に、カーブアウト→全株式取得という「二段階出口モデル」の有効性である。 最初から社内事業として進めると、意思決定の遅さや既存事業との軋轢が障壁になる。一方で、完全な独立起業では親会社のリソースを活用しにくい。まずカーブアウトで機動力を確保し、PMFの達成後に親会社が取得するというモデルは、両方の長所を活かす巧みな設計である。